《大胆な発想》

仁和の中将のみやすん所の家に歌合せむとしける時によめる そせい

をしとおもふこころはいとによられなむちるはなことにぬきてととめむ (114)

惜しと思ふ心は糸に縒られなむ散る花ごとに抜きて留めむ

仁和の中将のみやすん所:光孝天皇の御寝所に仕える女性。

「花が散るのを惜しいと思う心は、糸に縒ることができてほしいなあ。そうしたら、散る花ごとに糸で花びらを刺し抜いて留めるだろう。」

「よられなむ」で切れる。「れ」は可能を表す助動詞「る」の未然形。「る」が可能の意味になるのは、不可能な場合が多い。「なむ」は願望の終助詞。
散る花を惜しむ心を糸に縒り、その糸で散る花びらを刺し抜いて留めようという大胆な発想である。しかし、言われてみれば、もしそんなことができればしてみたいと、誰でもが共感できる思いではないか。これは、まさに「仮名序」にある「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける」(和歌は人間に共通する心を表した様々な表現)にふさわしい歌である。散る花を惜しむ気持ちは、こんな風にも表現できるのだ。
この歌は、隠喩を連ねた表現法、すなわち諷喩が用いられている。

コメント

  1. すいわ より:

    心を縒る、その糸で散る花を縫い刺して留めておきたい。そんな事、出来ないのはわかっているのだけれど、、
    糸を縒るように心を捩らせてしまう、桜を惜しむ強い気持ち。なのに例えるのがか細い糸。撚り合わせた強い糸でない、なんとも頼りなげな、ひたすら孤独な糸。いやましに寂しさが募ります。そんな儚さが桜の花時の短さと呼応して、一層、惜しむ心を喚起します。貫き留めた繊細でレース編みのような桜の花びら、ため息の出るような美しい様を思い浮かべてしまいました。

    • 山川 信一 より:

      諷喩とは、「たとえ話」のことです。ただ、それは「実話」と並行して存在します。つまり、二つの世界が同時に存在します。読み手は、それを行き来しながら、事実を思い描いていきます。
      翆和さんは、見事にそれを実証しました。「ため息の出るような美しい様」を思い描けたからです。この歌の諷喩は成功していますね。

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