《三輪山の桜》

はるのうたとてよめる  つらゆき

みわやまをしかもかくすかはるかすみひとにしられぬはなやさくらむ (94)

三輪山をしかも隠すか春霞人に知られぬ花や咲くらむ

らむ:現在推量の助動詞。「・・・ているのだろう」

「春の歌と言うことで詠んだ 貫之
三輪山を何でこんなに隠すのか、春霞は。人に知られない花が咲いているのであろうか?」

『万葉集』巻一・十八に次の歌がある。この歌を踏まえているのだろう。
「三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや(額田王)」(三輪山を何でこんなにも隠すのか。せめて雲にも優しい思いやりがあってほしいなあ。隠し続けていいのだろうか。隠してほしくない。)
三輪山は、大物主神 (オオモノヌシノカミ) が鎮座する神聖な山である。だからだろうか、万葉の昔から姿を隠す山であった。それで、春の今は、雲ではなく、霞がその姿を隠している。それはきっと、人には見せられない桜が咲いているからに違いない。
三輪山に春霞が掛かって山桜を見ることができない。しかし、何とかそれを見てみたい。春霞にも優しい思いやりがあってほしい。その思いをこう表現した。

コメント

  1. すいわ より:

    見えないものを「見せてはならないもの」とする事で、より尊くより見たいものとして意識が集中します。「やまたかみ〜」の歌の時もそうでしたが、神秘のベールの向こう側、桜は神の領域のものなので、人の思うままにはならない、それでも心動かされてしまうものという事なのでしょう。そういえば、大神神社ってありましたね。その山なのでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      大神神社と書いて、「おおみわじんじゃ」と読むそうです。三輪山の麓にあります。三輪山の桜は神聖なのでしょうね。
      既にある歌の一部を利用して作る技巧を本歌取りと言います。『新古今和歌集』の時代に流行りました。貫之は既にその技巧によって作っていました。さすがです。

  2. らん より:

    見えないと想像は膨らんで更に見たくなりますよね。
    どんな美しい桜が咲いているのか、私たちにも見せて〜と
    見てみたい気持ちが大きくなるのだろうなあと。
    私も見てみたいです。

    • 山川 信一 より:

      桜は何も目でばかり見るものではなさそうです。見えない桜を心で見ることもできます。
      見てみたいという思いの強さが想像力をかき立てるからでしょう。

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