《屈折した愛》

さくらの花のちりけるをよみける 貫之

ことならはさかすやはあらぬさくらはなみるわれさへにしつこころなし (82)

ことならば咲かずやはあらぬ桜花見る我さへに静心無し

ことならば:同じことなら。
さかずやはあらぬ:「やは」は反語を表す係助詞。「咲かずにはいないのか、咲かずにいてくれたらよかろうに」→「咲かないでほしい」
さへに:副助詞「さへ」に同じ。「・・・までも」の意。「に」は間投助詞。

「同じことなら咲かないでほしい。なまじ咲くから、桜ばかりか見ている私までも心が落ち着かない。」

桜は咲いてもやがて散ってしまう。桜は心が落ち着かない。そのお陰で私までもいつ散るかいつ散るかと気を揉んで落ち着かない。どうせ散るんだから、いっそのこと咲かないでほしいと言うのだ。本当に咲かないでほしいわけではない。しかし、そう思いたくなるほど、散るのが惜しいのだ。これは、屈折した愛情表現である。それによって、桜の花を愛おしむ思いの強さを表している。

コメント

  1. すいわ より:

    散ってしまうことは分かっているのに、心乱されてしまう。「みるわれさへに」と言っているけれど、桜は至って通常運転、「しつこころなし」なのは己のみ。桜に翻弄される思いが「さかすやはあらね」と心とは裏腹な事を言わせるのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      「われさへにしつこころなし」とあります。これは、桜が「しつこころなし」であることを前提にしています。
      お前さんのお陰で私まで「しつこころなし」なのだと言いたいのです。全く一方的な言い分です。
      この屁理屈によって、桜への愛情を表して見せたのです。

  2. らん より:

    桜に対してこんな愛情表現もあるのですね。
    美しいことは罪深いですね。

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