さくらの花のさかりに、ひさしくとはさりける人のきたりける時によみける よみ人しらす
あたなりとなにこそたてれさくらはなとしにまれなるひともまちけり (62)
徒なりと名にこそ立てれ桜花年に希なる人も待ちけり
あだ:移ろいやすく頼りにならない。はやなく、心もとない。
「桜の花の盛りに、久しく訪れなかった人がやって来た時に詠んだ 詠み人知らず
移ろいやすく頼りにならないと有名であるが、桜の花は、年に訪れるのが希である人も待つことだなあ。」
直ぐに散ってしまう桜にこと寄せて、滅多に来てくれない人の不実をなじっている。桜の花は、頼りにならないことで有名ですが、それでも年に訪れることが滅多にないあなたをこうして待っています、桜の花の方がずっとあなたより頼りになりますよ、と。
同時に、私も桜と同じようにあなたを待っているのですよという思いも表している。
貫之の「人はいさ心も知らず古里は花そ昔の香に匂ひける(42)」の歌にやや発想が似ている。オリジナリティに欠けているので、「詠み人知らず」になっているのだろうか。
コメント
この歌、伊勢物語に出てきていますね。男同士の戯れ歌、十七段。だから詠み人知らず、こうしてチラチラと伊勢物語の中に貫之がサインを残しているようでドキドキします。
そうでしたね。『古今和歌集』でも、次の業平の歌とセットになってます。『伊勢物語』は、これを発展させたのでしょう。
『古今和歌集』は何と言っても勅撰和歌集ですから、責任と緊張があります。『伊勢物語』では、それから解放されて遊んだのでしょう。
証明は難しいけれど、『伊勢物語』は、やはり貫之の作品です。