第四十三段  書を見る貴公子

 春の暮つ方、のどやかに艶なる空に、いやしからぬ家の、奥深く、木立ものふりて、庭にちりしをれたる花、見過しがたきを、さし入りて見れば、南面の格子、皆おろしてさびしげなるに、東にむきて妻戸のよきほどにあきたる、御簾のやぶれより見れば、かたちきよげなる男の、年廿ばかりにて、うちとけたれど、心にくくのどやかなるさまして、机のうへに文をくりひろげて見ゐたり。いかなる人なりけん、尋ね聞かまほし。

暮れつ方:季節や年の末。
のどやかに:①空が晴れて、穏やかな様子。②落ち着きはらっていて慌てない様子。
艶:優美なこと。しっとりと美しいこと。雰囲気・風情として美を捉える。
ものふりて:全体が古めかしい感じがして。
格子:寝殿造りなどの戸の一種。上下に分かれる。
妻戸:寝殿造りで、建物の四隅にある両開きの戸。
御簾:葦や竹で編んだすだれ。

「晩春の頃、うららかに優美な空のもとに、品の悪くない家で、奥が深く、木立が古めかしい感じがして、庭に散り萎れている花がそのまま見過ごしがたい家を、すっと入って、内の様子を見ると、南面の格子をみな下ろして寂しい感じがするのに、東に向いて妻戸がいい具合に開いているのを、御簾の破れから見ると、容姿がこざっぱりした男が、年の頃は二十歳ぐらいで、うちくつろいでいるけれど、奥ゆかしく落ち着いた雰囲気で、座って机の上に書物を開いて見ている。どんな素性の人だったのだろう。今でも尋ね聞きたい。」

これは、兼好自身の経験である。しかし、「き」を使っていない。最後に「けん」(過去推量)だけが使われている。意識的に「き」を避けている。読者にこの出来事を過去のことだと意識させたくなかったのだろう。つまり、「き」を使わないことで、臨場感を出したかったのだろう。
兼好自身の日常の一部を表したかったのか。ここでは、平安時代の貴族のそぞろ歩きを模している。そして、優雅な貴公子の様子を通して、平安時代への憧れを表している。

コメント

  1. すいわ より:

    奇妙な娘の話、競べ馬の滑稽な話、奇病の僧の話、と続いて今回の話は兼好好みの寂感のある風雅な話。この話は自らの体験として語りたい。「「き」を使わないことで、臨場感を出した」、なるほど、兼好の手の内にはまって今まさに兼好の目に映っている景色を見ている気持ちになりました。

    • 山川 信一 より:

      こうしてみると、随筆というのはいいものですね。何だって好き放題に書けるのですから。現代でも、エッセイストに憧れる人が多いのも肯けます。
      ただし、文書の上手さが求められます。その点、兼好は大した手練れです。

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