第三十七段  人との接し方を変える

 朝夕隔てなく馴れたる人の、ともある時、我に心おき、ひきつくろへるさまに見ゆるこそ、「今更かくやは」など言ふ人もありぬべけれど、なほげにげにしく、よき人かなとぞおぼゆる。うとき人の、うちとけたる事など言ひたる、又よしと思ひつきぬべし。

ともある:ちょっとした。何か事のある。
ひきつくろふ:体裁を整える。きちんとする。
げにげにし:生真面目に。実直に。
思ひつく:心がひかれる。思いを寄せる。

「朝夕隔てなく慣れ親しんでいる人が、ちょっとした時に、自分に気を遣い、改まった様子に見えるのこそ、「今更改まることもなかろうに」と言う人もきっと有るに違いないけれど、やはり生真面目で、素晴らしい人だなあと思われる。一方、普段あまり親しくない人が打ち解けたことを言っているのは、また素晴らしいときっと心がひかれてしまうに違いない。」

例によって思わせぶりな書き方である。内容が今一つ具体的ではないので、よくわからない。勝手に理解し納得していいものか。たとえば次のように。
慣れ親しんでいる人は、往々にしてお互いに相手のことがわかった気になる。親しくない人は、自分とは合わないと決めつけている。しかし、人間は複雑であり、それらは危険な思い込みである。それに甘えて、思いがけず、相手を傷付けたり、侮ったりすることもある。人間関係を狭めることもある。だから、折に触れ、いつもと違う態度で接するべきである。お互いに知らない一面が現れることがある。こうしてより緊密な関係が築ける。この道理を知り、実践する人は、相手との関係を真面目に考えている素晴らしい人である。

コメント

  1. すいわ より:

    共感します。それぞれがどんな関係性にあっても個を尊重する、たとえそれが、親子関係であっても最低限の礼節を弁える。先入観なく、相手をまず受け止める。簡単な事のようだけれど、とかく人は流されやすい。自分の目で耳で見聞きした事を自分が判断する、そんな当たり前の事を当たり前に出来る自分でありたいと思います。

    • 山川 信一 より:

      兼好が今一つ具体的に書かなかったのは、様々なケースに当てはまるようにするためだったのかも知れませんね。
      同性の友人でも、恋人や夫婦でも、親子でも当てはまるように。折に触れて、初めて出会った時のような新鮮な思いで接するべきですね。

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