《遠くでも近くでも》

題しらす  素性法師

よそにのみあはれとそみしうめのはなあかぬいろかはをりてなりけり (37)

余所にのみあはれとぞ見し梅の花飽かぬ色香は折りてなりけり

けり:ある事実を確認し、それに感動する意。

「これまでは遠くからばかり、いいなあと眺めていたけれど、梅の花の満足し尽くせないほどの色と香りは、折り取って間近に見てのことであったよ。」

梅の花は、遠くでも楽しめるが、切って手に取ればなお一層その色と香りを楽しめると言う。諺に「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と言うから、梅は、枝を折って楽しむことに抵抗が少ないのだろう。遠くで見てよし、近くならなおよし。手放しの讃美である。
梅の花は、女性をたとえていると見ることもできる。「これまでは遠くから見て憧れていただけでしたが、あなたとこうして結ばれて、一層あなたの素晴らしさがわかりました。」ということになる。後朝の歌として、女性に贈ることもできる。

コメント

  1. すいわ より:

    「よそにのみ」の距離感がどの程度かわかりませんが、望遠で春霞をかけたように咲く梅の全景を眺めているところから「をりてなりけり」でぐっとクローズアップされて、梅の花びらの一枚一枚、芳しい香りが目の前に映し出されます。遠巻きに漠然といいなぁと思っていたものが実際に手に取ったら、その魅力は思っていた以上である事に気付けた。梅はもちろん、これを女性に見立てているのだとしたら、この上もない賛美の歌ですね。

    • 山川 信一 より:

      梅の花の魅力をどう表現したらいいか、様々な試みがなされています。この歌は、まるで遠景からクローズアップするカメラの切り替えみたいですね。

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