西大寺のほとりの柳をよめる 僧正遍昭
あさみとりいとよりかけてしらつゆをたまにもぬけるはるのやなきか (27)
浅緑糸縒りかけて白露を玉にも抜ける春の柳か
西大寺:朱雀通りの南門の外に建てられた東西の大寺の西の方。
浅緑:薄い緑色。薄緑。
「薄緑色の糸を縒り、手に掛けて、春雨の露をまるで真珠に糸を通すように貫いている春の柳だなあ。」
新緑の柳の枝が春雨のしずくを宿した様子を詠んでいる。表現法としては、前の歌と同様に、柳を擬人化している。それは、柳には春を演出する力があると見ているからだろう。一方では、桜の開花を誘い、一方では、しずくを真珠に変える。柳には、そんな力があると言うのだ。
春雨のしずくの美しさを「玉」にたとえることで表し、しずくを「白露」と言うことで柳の緑との色彩の対照の鮮やかさを際立たせている。
コメント
白露と聞くと一瞬秋?と思ってしまいましたが、枝垂れる柳が春雨に濡れて、その雫の一つ一つが枝が揺れるたびに光り輝く様は艶やかで暖かみさえ感じさせます。「雨」には触れず雨を表現するところは凄いです。
「白露」だから秋?と思わせるのも、この歌の仕掛かも知れませんね。意外性も感動を生み出します。
いい意味で読み手を裏切っていくことが芸術の根本にあります。