寛平御時きさいの宮の歌合によめる 源むねゆきの朝臣
ときはなるまつのみとりもはるくれはいまひとしほのいろまさりけり (24)
常磐なる松の緑も春来れば今ひとしほの色まさりけり
けり:今まで気づかなかったことに改めて気づき感動する意を表す。
「寛平の御時、宇多天皇の皇后温子様の歌合わせにおいて詠んだ 源宗于朝臣
松の緑は一年中変わらないと言われるが、その変わらない松の緑さえも、春が来ると、もう一段緑の濃さが勝っていることだなあ。」
春は、変わらないはずの松の緑にも変化をもたらすと言うのである。詩とは、「言われてみれば、そのとおりだ。」と共感できる事実の発見である。そして、その事実は、言われなければ気付けないほどの微細である方がいい。しかも、その事実を通して、それを超えた大きな世界を想像させる発見である方がいい。この歌では、松の緑を語ることによって、すべてが春色に輝く春そのものを想像させる。
詩は、物事の細部を見逃さない心の働きから生まれる。その意味で、この歌は、詩の大道を行く歌である。
コメント
何気ない日常、当たり前の事と見過ごしてしまう事、ありますね。
松自体が変わるわけではない。松を照らす春の光が松をより一層青々と生き生きと見せる。春の明るさ、温度感まで伝わってきます。この僅かな変化を見逃さず掬い上げる感性、見習いたいです。
詩は発見です。発見できる心は、きっと豊かな心でしょう。発見が心を豊かにするのか、心が豊かだから発見できるのか。
いずれにせよ、好循環に乗りたいものです。
私もそういう豊かな心を持ちたいです。
日常には輝きが溢れているはずなのですが、心に余裕がないとなかなか気付け無くて。
ドタバタな毎日ですが、輝きを発見し、感動できる心を持ちたいです。
日常生活を真面目に生きることも大切です。だけど、ドタバタな毎日と感動できる心は別にある訳ではありません。
ルーチンワークの中にも詩はあるはずです。その気持ちを忘れなければ、見えてくる世界がきっとあります。