第三十八段  万事価値無し

 ただし、しひて智をもとめ、賢を願ふ人のために言はば、知恵出でては偽あり、才能は煩悩の増長せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、真の智にあらず。いかなるをか智といふべき。可・不可は一条なり。いかなるをか善といふ。まことの人は智もなく徳もなく、功もなく名もなし。誰か知り誰か伝へん。これ、徳を隠し愚を守るにはあらず。本より賢愚得失の境におらざればなり。迷いの心をもちて名利の要を求むるに、かくのごとし。万事は皆非なり。言ふにたらず願ふにたらず。

煩悩:情欲・願望・恨み・愚痴などが心を煩わし、身を悩ますこと。
増長せるなり:「る」は、いわゆる存続の助動詞の「り」の連体形。

「ただし、強いて智を求め、賢を願う人のために言うならば、知恵が出てから嘘が生まれ、才能は煩悩が増長したものである。師が伝えてそれを聞き、師から学んで知るのは、真実の智では無い。では、いかなることを智と言うべきか、そんなものはこの世に存在しないのだ。よいこととよくないことは、結局同じなのである。いかなることを善と言うのか、そんなものはこの世に存在しないのだ。真の人は、智も無く、徳も無く、実績も無く名誉も無い。だから、その存在を誰が知り、誰が伝えるのか、誰もできない。これは、わざと徳を隠し、馬鹿を装っているのではない。元から賢愚得失という基準を持っていないからだ。迷いの心を持って、名利を得る方法を求めると、この通りになる。あらゆることは皆価値が無い。言うだけの値打ちも無く、願うだけの値打ちも無い。」

話の筋道が摑みにくい。何が言いたいのか、今一つわからない。たとえば、「迷いの心をもちて名利の要を求むるに、かくのごとし。」の「かくのごとし」が指している内容が漠然としている。これまで述べたことを指すとしても、わかった気になれない。
ただ、次のことはわかる。「まことの人」は「賢愚得失」の境地にいず、それを基準に生きていない。したがって、それを学ぶこともできない。結局、名利を否定するばかりでなく、智や賢と言った望ましい人間的な営みすべてを否定している。しかし、「万事は皆非なり。言ふにたらず願ふにたらず。」という結論は強引だ。論理に飛躍がある。
この考えは老荘思想によるものだろうが、兼好の日常生活と遊離している感じがする。頭の中で考えたことに過ぎないのではないか。

コメント

  1. すいわ より:

    うっかり本音が出そうになり、軌道修正しようとしたものの、面倒になって丸投げしたみたいな文。取り散らかって話の行方が分からず、何が言いたいのだろう?と思ったのは私だけじゃなかったのですね。
    「まことの人」、生まれたての赤ちゃんは該当しますね。無価値なものとして全否定されてしまっているけれど、私は実は赤ちゃんという存在は限りなく完全体に近いもので、加速度的に抜け落ちて行くものを補完する為に人は学び続けているのでは無いかと思っています。生きて行く上で欲が全くない、ということはあり得ない。欲=悪とは限らない。否定するのでなく、その欲を認めて一緒に抱えて生きているものなのではないかと思います。

    • 山川 信一 より:

      赤ちゃんについてのお考えに共感します。この段は、兼好自身の考えが比較的表に出ていますが、奇を衒いすぎて混乱している気がします。
      人とは違うことを言わねばという思いが強いのではないでしょうか。抽象的な話はいいから、もっと日常的な話をしてほしいものです。

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