第十九段 四季への思い ~秋~

七夕まつるこそなまめかしけれ、やうやう夜寒になるほど、雁鳴きてくるころ、萩の下葉色づくほど、早稲田刈り干すなど、とり集めたることは秋のみぞ多かる。又、野分のあしたこそをかしけれ、言ひつづくれば、みな源氏物語・枕草子などにことふりにたれど、同じ事、又今さらに言はじとにもあらず。おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ、あぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべき物なれば、人の見るべきにもあらず。

なまめかしけれ:優美だ。若さ・清らかさ・上品さからくる美。
あした:翌朝。
とり集めたる:いろいろなことを一つに寄せ集めている。
ことふりにたれど:言い古されてしまっているけれど。
あぢきなきすさび:無益な慰み事。
おぼしき:言いたい。
かつ:・・・するそばから。・・・すると直ぐに。

「七夕を祭ることこそ優美なものだが、次第に夜寒になるほど、雁が鳴いて来る頃、萩の下葉が色付くほど、早稲田の稲を刈り干すなど、様々な(趣深い)ことを一つに寄せ集めていることは、秋だけが多いようだ。また、台風の翌朝こそ興味深いが、言い続ければ、みな源氏物語・枕草子などに言い古されてしまっているけれど、同じこと、またまったく言うべきではないわけでもない。言いたいことを言わないのは腹が膨れる仕業なので、筆に任せながら書いている、無益な手すさびであって、書くそばから破り捨てる物であるので、人が見るはずもない(から許されるだろう)。」

七夕は、七月の行事なので秋に分類される。それを祭るのを「なまめかしけれ」と言うのは、牽牛と織女の恋だからだろう。兼好法師は、形容詞の使い方にかなり気を遣っていることがわかる。以下、「雁」「萩」「早稲田」「野分」と季語を並べている。これらは、古典的・和歌的美意識を踏まえたものである。
「野分のあしたこそをかしけれ」は、源氏物語・枕草子に書かれていると言う。「おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば」は、大鏡の記述を踏まえている。「かつ破り捨つべき物なれば、人の見るべきにもあらず」は、『土佐日記』の「とまれかくまれ疾く破りてむ」を思わせる。
以上からは、『徒然草』は、古典へのいざないの書であると言うこともできそうだ。

コメント

  1. すいわ より:

    「かつ破り捨つべき物なれば」、土佐日記だと私も思いました。毎回、本当に古典が引かれていますね。
    季語があれもこれもと集められていて、「吹き寄せ」のようだと思いました。

    • 山川 信一 より:

      そつなくあれもこれも取り合わされていますね。誰からも文句の出ない文章を目指して書いているような気がします。
      「吹き寄せ」、まさに言い得ています。

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