寛平御時きさいの宮のうたあはせのうた 紀とものり
はなのかをかせのたよりにたくへてそうくひすさそふしるへにはやる (13)
花の香を風の便りにたぐへてぞ鶯誘ふ標にはやる
たぐへ(ふ):連れ添わせる。
しるべ:道案内。案内者。
「寛平御時后の宮の歌合の歌 紀友則
梅の花の香りを風という使者に連れ添わせて、鶯を谷から誘い出す案内者には行かせる。」
梅の花が咲いた。とてもいい香りがする。この香りをいつまでもここで味わっていたい。けれども、まだ鶯が訪れない。それは、もう梅がこんなにいい香りを放っているのを知らないからではないか。鶯は、梅の香りさえ嗅げばきっとここに来てくれるはずだ。しかし、梅の香は、どこにもやりたくない。梅の香りがここから移ろうのは嫌だ。それでも、風が梅の花の香りを谷まで運び、鶯が谷からここに来てくれるなら案内者にしよう。
つまり、梅の香を惜しみつつ、それが風に運ばれるのを、鶯を谷から誘うためなら我慢しようと言うのである。梅の香を味わい惜しむ一方、鶯を待ちきれない思いは、万人にある。しかし、それは漠然としたものだ。この歌は、その思いをここまで繊細に表しているのだ。
コメント
「標にはやる」の「には」って何かしらと思いました。
やっと迎えた春、この梅の香を他所へやるのは忍びないが花開いた梅のもとにウグイスを呼び寄せる為ならば仕方がない、春はもう来ているのだと風に梅の香を届けさせよう、そうすれば花を見、香りを楽しみ、鶯の声を聞きく事が出来る、これで早春の準備は万端、という事なのですね。ここまで書くのに私は何字使ったでしょう。和歌、素晴らしいです。
春風が鶯に梅の香を届けるまでの間にもそこかしこに春の香りは振り撒かれ、春は広がっていきますね。
そうなのです。「には」を見落とすわけにいきません。さすが紀友則です。言われてみれば納得できる感情ですが、そう来たかと思わされます。
巧みな表現によって、誰しもの心にある感情が詩になりました。和歌はいかに言の葉を組み立てるかです。
素敵ですね。
風の使者に梅の香りを鶯に届けてもらおうだなんて。
鶯さん、待ってますよ、早くきてね。ホーホケキョの声が早くききたいですね。
この歌のたとえがどれもいいですね。「たより」「たぐふ」「しるべ」紀友則さんは、ロマンチックな人なのでしょう。