八日、なほ、かはのほとりになづみて、とりかひのみまきといふほとりにとまる。こよひふなぎみれいのやまひおこりていたくなやむ。あるひとあざらかなるものもてきたり。よねしてかへりごとす。をとこどもひそかにいふなり「いひぼしてもつつる」とや。かうやうのことところどころにあり。けふせちみすればいをふ用。
問「かうやうのことところどころにあり。」とあるが、書き手はなぜこんなことを書いたのか、説明しなさい。
やはり船は思うように進まない。「なづみて」とは、行き進むのが滞ることを言う。同時に、書き手の気分も優れないことを暗示している。「とりかひのみまき」とは、興味をそそられる面白い名前だが、それへの関心も起きない。船君は持病が起きてひどく苦しむ。どんな病気かは書かれていないけれど、偏頭痛か神経性胃炎といったところだろう。船旅で悩むことが多いからだろう。
ある人が鮮魚を差し入れしてくれた。しかし、貰いっぱなしではない。それにはきっちり米で返礼する。潔癖な性格の表れである。その行為を下男たちはこっそり言うようだ「海老で鯛を釣る」とか言っている。贈り主は、上手くやったな。しかも、今日は精進潔斎の日であり、船君は魚は食べないのだ。船君はお人好しすぎる。このようなことがここかしこである。みんな返礼が欲しくてこういう贈り物をするのだ。船主の善良さにつけ込んでいる。けしからんヤツらだ。(問)
コメント
船君は世慣れしていないというか、要領よく立ち回る人でない事が分かりますね。政治向きでない。上手いことやる奴らも奴らですが、陰でコソコソ言う男たち、言うだけでなく、こう言う時こそ手出しして助けてくれれば良いのに。こちらの手合いの方がタチが悪いのかもしれません。
ここは、贈答文化への批判でしょう。それは物によって心を通わせるといういい面もあります。しかし、悪用して得をしようとする輩もいます。
米が欲しいために、鮮魚を贈る、あるいは土地の物を贈るといったみみっちい行為は、目くじら立てて非難するのも憚られます。しかし、無視してもいいものでもありません。
そこで一言皮肉を言ったのです。そう思うと、この扱い程度でいいのではないでしょうか。さすが貫之、見事です。