いひぼしてもつつる

八日、なほ、かはのほとりになづみて、とりかひのみまきといふほとりにとまる。こよひふなぎみれいのやまひおこりていたくなやむ。あるひとあざらかなるものもてきたり。よねしてかへりごとす。をとこどもひそかにいふなり「いひぼしてもつつる」とや。かうやうのことところどころにあり。けふせちみすればいをふ用。

八日、猶、川の辺に泥みて、鳥飼の御牧といふ辺に泊まる。今宵船君例の病起りて甚く悩む。ある人鮮らかなる物持て来たり。米して返り事す。男ども密に言ふなり「飯粒してもつ釣る」とや。かうやうの事所々にあり。今日節忌すれば魚不用。

れいのやまひ:持病。
あざらかなるもの:新鮮で生き生きしている物。鮮魚。
いひぼしてもつつる:「海老で鯛を釣る」といった意味のことわざ。
せちみ:「せちいみ」からの変化。精進潔斎すること。

問「かうやうのことところどころにあり。」とあるが、書き手はなぜこんなことを書いたのか、説明しなさい。

コメント

  1. すいわ より:

    よくわかりません。節忌だから精進で魚は不要なのに、鮮魚を船君に持ってきた人がいた(これはきっと贅沢品?)。それに対して船君は返礼品としてお米を持たせた。その様子を見て男たちがひそひそと「あれは海老鯛だなぁ」と言う、、、「いひぼしてもつつる」、「米で魚」だけれど、魚を持ってきて船君に取り入ろうとした?そう言う事はよくある事だ、と書き手は言うのですね。
    律儀ものの船君は袖の下を受け取るような事を嫌い、受け取るだけということをせず、贈答品に対して返礼品を持ち帰らせたのか?気鬱の病にもなりますね。
    問 都に近くなってきて、任務を終えて帰って来た役人にいち早く取り入ろうと馳せ参じる者がいる、と言う事を書き手は批判的に言いたかった。

    • 山川 信一 より:

      なぜこんなことを書いたのだろうかと疑問に思ったので、問題にしました。
      恐らく批判でしょう。では、何をどう批判しているのか?贈答文化は既にこの時代にもありました。それによって、人と人とがつながる、それは必ずしも悪いことではありません。
      しかし、物や金が介すると、碌な事にはなりません。「桜を見る会」もその流れをくんでいます。そうした事への皮肉でしょうか。

  2. すいわ より:

    旅立ちの頃の見送りの人々の色々を思い出しておりました。最後の「今日節忌すれば魚不用」の一節から迷惑な、有り難くない贈答品だったのだろうと思いました。送り先の人を思う気持ちのない自分の都合の為の贈り物は、当たり前に、「自分のため」ですから。

    • 山川 信一 より:

      鮮魚は、賄賂でしょうか?今更、年老いた元土佐の国司に取り入って一体何があるのでしょう?
      それも鮮魚ほどのの贈り物です。また、たとえ有り難くない贈り物でも贈り主の思いは大切にしたものです。
      「いひぼしてもつつる」で得をしたのは、むしろ贈り主の方です。

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