歌の条件

五日、けふからくしていづみのなだよりをづのとまりをおふ。まつばらめもはるばるなり。かれこれくるしければよめるうた、
ゆけどなほゆきやられぬはいもがうむをづのうらなるきしのまつばら
かくいひつゞくるほどに「ふねとくこげ、ひのよきに」ともよほせば、かぢとりふなこどもにいはく「みふねよりおほせたぶなり。あさぎたのいでこぬさきにつなではやひけ」といふ。このことばのうたのやうなるはかぢとりのおのづからのことばなり。かぢとりはうつたへにわれうたのやうなることいふとにもあらず。きくひとの「あやしくうためきてもいひつるかな」とてかきいだせればげにみそもじあまりなりけり。

問1「ゆけどなほ」の歌を鑑賞しなさい。
問2「みふねよりおほせたぶなり。あさぎたのいでこぬさきにつなではやひけ」とあるが、舵取はなぜこのようなことを言ったのか、説明しなさい。
問3 舵取の詞のエピソードで何を伝えようとしているのか、答えなさい。

今日やっとのことで和泉の灘から小津を目指して漕ぎ出す。松原がどこまでも続いている。それを見て、あれやこれや苦しくなって詠んだ歌、
「行けども行けども依然として行くことができないのは、おなごが紡ぐ麻のように長々と続く小津の浦にある岸の松原だなあ。」枕詞の「いもがうむ」が松原が長々続く単調な眺めを連想させる。小津の風景を描写しながら、船が進まないことを苦しく思う胸の内も同時に表している。(問1)
このように言い続けることで心を慰めながら来るうちに(貫之は歌の働きを「心をもなぐさむるは歌なり」と考えているので、その実践を示している。)、船君は「船を早く漕げ、天気もいいのだから。」と促したところ(船子どもがのんびりしていたのだろうか、イライラして)、舵取が船子たちに言うことには「お船から船君様がご命令をお与えになったようだ。朝北の風が吹いて来る前に綱手を早く曳け。」と言う。舵取がこう言ったのは、自分の縄張りに口を出されて面白くなかったからだろう。そこで、嫌みったらしく、「朝北の出で来ぬ前」という専門知識をちらつかせつつ、「漕ぐ」ではなく「綱手を曳け」と命じている。「船のことに口を出さないでくれ。」とやんわり反抗してみせたのである。(問2)
舵取の詞が歌のようなのは、舵取の口からひとりでに漏れた詞だ。舵取はむやみに「私は歌のようなことを言う」というのではない。聞く人が「不思議にも歌のようにも言ったことだなあ。」と言って、書き出してみると、本当に三十一文字であった。貫之は、歌の条件として三十一文字の定型が第一の条件だと考えていた。正月の十八日に「三十一文字あまり七文字」とあって、これを激しく否定していたのと対照的である。定型であるだけで、日常の何気ない詞でさえも歌めいて聞こえるのだ。三十一文字は約束事であり、これを崩してはいけないと考えている。
とは言え、このリズムは既に誰の中にも根付いている。舵取のように無教養な者であっても、偶然口をついてくることもあるのだから。(問3)
貫之の考えは、説得力がある。五音と七音との組み合わせは、日本語が生み出した必然的なリズムである。現代でも、「飛び出すな、車は急に止まれない」とか「赤信号、みんなで渡れば怖くない」などに我々は、快いリズムを感じる。

コメント

  1. すいわ より:

    今回の「ゆけどなほ」の歌の解釈、頭を悩ませました。最初「妹がうむ」が何か分からず、解説に紡ぐ事と書かれていて、さてこの動作をどう繋げるか考えてしまいました。車輪のようなものに取っ手のついた道具を想像して、でも、平安時代にこれはあるのか?と思い、調べてみたら、当時は独楽のような形でその軸部分に縒った糸を巻き付けていく方法だったらしく、動作をトレースしてみると、実に単調で根気のいる作業だった事が想像されて、ここでやっと歌全体を捉える事ができました。目的地に近付いたからこそより焦ったく感じられることもあったのかもしれません。そんな乗船客の気持ちなど知ったことか、とばかりの舵取りの態度、今の世にもこんな人、いますよね。

    • 山川 信一 より:

      納得できるまで丹念に調べてみたのですね。あるべき学習態度ですね。素晴らしい。「いもがうむ」が単調な作業のイメージが生み出していることが実感できましたね。よくよく見ると、「うむ」には「倦む」(退屈する)も掛かっているようです。
      舵取の人物像が生き生きと描かれていますね。人間は今も昔も変わりませんね。

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