今の国司への批判

しろたへのなみちをとをくゆきかひてわれににべきはたれならなくに

この日も、文末に「けり」が使われている。すべて経験ではなく、確認だからである。書き手の女が誰かから聞いたことを書いている。文末が前後の日と明らかに違っている。「べし」を使っているのも、推量だからである。書き手は、他の人の歌を聞いていないので、その理由を推量しているのである。
「あるじ」が多用されている。今の守が「私が主だ」と言わんばかりで、上下関係を意識させるからだろう。手紙で官邸に呼びつけられたのも実は面白く思っていないに違いない。
前の守(=貫之)の歌の解釈は、表面上はあなたも「私と同じように寂しい思いをしますよ。」になる。この場合「われににべき」は、の「べき」は未来の予想を表す。しかし、裏の意味がありそうだ。それは、公費を使っての飲み食いや従者にまで餞別を与えていることへの批判である。まさに「桜を見る会」さながらだ。いつの世も変わらない。
こんな会であるから、気の利いた歌があろうはずが無い。「ことひとびとのもありけれどさかしきもなかるべし。」のも当然だ。
貫之は、表面上は調子を合わせてはいるけれど、実は不愉快なのだ。そこでその思いを歌にこめる。「私と同じように国司の仕事を誠実に真面目に務めるべきなのは、他ならぬあなたなのですよ。」と。この場合の「べき」は義務を表す。
「とかくいひて さきのかみいまのももろともにおりて、いまのあるじもさきのもてとりかはしてゑひごとにこころよげなることしていでにけり」は、「さき」と「いま」が繰り返されている。また、意識的に「て」が多用されている。これらは、ほろ酔い気分で同じことを繰り返すその場の様子・雰囲気を伝えている。

コメント

  1. すいわ より:

    したたか酔って上機嫌、を装いつつ、返歌でしれっと釘を刺す辺りが流石ですね。相手はその真意を汲み取ることは無いのでしょう。これからの任務、真面目に務めるとは思えませんね。

    • 山川 信一 より:

      新国司には期待していないでしょう。これを読むもののわかった読者に期待しています。

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