廿六日、なほかみのたちにてあるじしののゝしりて郎等までにものかづけたり。からうたこゑあげていひけり。やまとうた、あるじもまらうどもことひともいひあへりけり。からうたはこれにはえかかず。やまとうたあるじのかみのよめりける、
みやこいでゝきみにあはむとこしものをこしかひもなくわかれぬるかな
となむありければ、かへるさきのかみのよめりける、
しろたへのなみちをとをくゆきかひてわれににべきはたれならなくに
ことひとびとのもありけれどさかしきもなかるべし。とかくいひてさきのかみいまのももろともにおりて、いまのあるじもさきのもてとりかはしてゑひごとにこころよげなることしていでにけり。
この部分に漢字を当てると次のようになる。
二十六日、尚守の館にて主し罵りて郎等までに物被けたり。唐歌声上げて言ひけり。大和歌、主も客人も異人も言ひ合へりけり。唐歌はこれにはえ書かず。大和歌主の守の詠めりける、
都出でて君に会はむと来しものを来し甲斐も無く別れぬるかな
となむありければ、帰る前の守の詠めりける、
白妙の波路を遠く行き交ひて我に似べきは誰なら無くに
異人のも有りけれど賢しきも無かるべし。とかく言ひて前の守も今のも諸共に下りて、今の主も前のも手取り交はして酔ひ事に快げなることして出でにけり。
あるじし:主人として客をもてなす。饗応。
ものかづけ:餞別など贈り物を与える。
郎等:従者。家来。
からうた:漢詩。
これにはえかかず:(仮名文の日記なので)書くことができない。
みやこいでゝきみにあはむとこしものをこしかひもなくわかれぬるかな:都を出てあなたに会おうと来たものの来た甲斐も無く別れることですねえ。
しろたへのなみちをとをくゆきかひてわれににべきはたれならなくに:白い波路を遠く行き交って私に似るはずなのは誰でもないあなたなのです。そうおっしゃるあなたも私と同じお思いをされるでしょう。
さかしき:気の利いて取り柄のある。
ゑひごとにこころよげなることして:酔ったということでいかにも愉快そうな動作をして(たとえば、抱き合うとか)
問「ことひとびとのもありけれどさかしきもなかるべし。」とはどういうことを言っているのか、こたえなさい。(「べし」が使ってあることから考える。)
コメント
「他の人たちの詠んだ歌もあるけれど、気の利いた歌は無いようだ。」
酔っ払い達の戯れ歌、どれも書き留めておくだけの価値のある歌ではない、と思っている。
旧国司の歌、皮肉なのでしょうか?現国司の歌は着任して気が大きくなっている印象、自分“が”国司なんだぞと誇示しているような。その返歌、一見、これからあなたがここで経験することは、私が経験して来たことですから、お気持ち、理解出来るのは私ですよ、と言っている風なのだけれど、「しろたへのなみち」が荒れた海を想像させて、まぁ、苦労が絶えなかろう、頑張ってくれたまえ、と言っているようにも取れるような気がします。
そうですね。「べし」は推量「ようだ」です。聞いた話なんですから。本音は、「酔っ払い達の戯れ歌、どれも書き留めておくだけの価値のある歌ではない」からですね。
確かに現国司の歌は上から目線ですね。旧国司の歌は、皮肉が込められていますね。
先生、現国司の歌の意味がよくわからないのですが。
上から目線なのですか。
全然意味が分からなくて。
何回も読んでいるのですが、しろたえのなみちの皮肉もよくわからないです。
難しいなあ。
新国司の歌は「都を出てあなたに会おうとやって来たのに、来た甲斐もなく、別れることになったことだなあ。」という意味です。表面上は別れを惜しんでいるように見えます。
しかし、「わかれぬるかな」と完了の助動詞「ぬる」を使っています。まだ一緒にいるのに、別れてしまったことにしています。本音が出てしまいました。上から目線と言うよりは、気持ちがこもっていません。
旧国司の歌は「こんな遠いところまで海を往復して、私と似るはず(=同じ)なのはあなたなのですよ。」という意味です。表面的には、相手の歌を踏まえて「あなたも次の国司に同じような思いをさせますよ。」となります。
でも、本当は「公費でこんな派手な送別会を開かないで、私がしてきたように慎ましく誠実に行政に取り組んでください。」という意味になります。
先生、解説していただきすごくよくわかりました。
ありがとうございました。
お互い、大人だから本音は含みますが
なんだか狐と狸のばかしあいみたいですね。
新国司は物事を誠実に考えない俗物なのでしょう。だから、通り一遍のことしか歌っていません。「ぬ」にしても、思わず本音が出てしまったのです。
それに対して、旧国司(=貫之)は意識的に含みを持った歌を作っています。一枚も二枚も上の人物です。