をとこもすなる日記といふものを、をむなもしてみむとてするなり。それのとしのしはすのはつかあまりひとひのいぬのときにかどです。そのよしいさゝかものにかきつく。あるひと、あがたのよとせいつとせはてゝれいのことゞもみなしをへて、げゆなどとりて、すむたちよりいでてふねにのるべきところへわたる。かれこれしるしらぬおくりす。としごろよくくらべつるひとびとなむわかれがたくおもひてそのひしきりにとかくしつゝのゝしるうちによふけぬ。
傍線部に漢字を当てると次のようになる。
「彼此知る知らぬ送りす。年頃よく比べつる人々なむ別れ難く思ひてその日頻りに兎角しつつ罵る内に夜更けぬ。」
くらべつる:親しくしていた。「つる」は意志的完了の助動詞「つ」の連体形。終了を表す。
ののしる:人が声高にものを言う。
問「かれこれしるしらぬおくりす」からどんな事情がわかるか、答えなさい。
コメント
あの人、この人、知ってる人も知らない人も(“あるひと”を)見送りする。
あとの文を見るとまだ船には乗り込んでいない。暮れ時、暮らしてきた館を出て、船着場の近くで送別の宴でも開かれたのか?4、5年も居たら地縁も出来て、仕事関係で関わった人などなど深くも浅くも関わった人たちが挨拶しに集った、という事でしょうか。京へ戻るのだろうから、都の人へ言伝を頼んだりする人もいるのでしょうか?
事実を述べることは、思いを述べることでもあります。思いは、なぜその事実を、なぜその言葉で述べたのかに表れます。
「仕事関係で関わった人などなど深くも浅くも関わった人たちが挨拶しに集った」でよいと思います。それがここではどう働いているでしょうか?
くらべつる:親しくしていたって意味なんですね。
比べると親しくが結びつかず、意味が繋がらず考えてこんでいました。
親しくすると言うのは、心を通わせることです。それは、お互いの心を比べることかもしれませんね。
「つる」は意志による完了で、それも終わりを表します。ここは、その状態の始まりを表す「ぬ」は使えませんね。
同じ完了の助動詞でも、「つ」と「ぬ」は使い方が違います。
交友関係もここで終わりなんですね。