をとこもすなる日記といふものを、をむなもしてみむとてするなり。
この文には、①と②の二つの意味がある。
①男がするという日記というものを女もしようとしてするのだ。
②男文字(漢字)である日記を女文字(仮名)にしようとするのだ。
「をとこもす」に〈男文字〉、「をむなもし」に〈女文字〉が掛けている。
そのために、日本語としては不自然な文になってしまった。
では、なぜ漢字ではなく、仮名で書くのか?
第一の理由は、日本語特有の細やかな描写や心情を表現したかったからだ。
第二の理由は、表現に謎解きの面白さを持たせるためだ。
この時代には、仮名に清濁の書き分けがない。つまり、澄んだ音も濁った音も同じ仮名で書く。
たとえば、「をんなもし」の「し」がそうだ。①の時は「し」と②の時は「じ」になる。
和歌は表現それ自体が重要だ。表現を言い換えることができない。
それに対して、散文では、意味さえわかれば表現は捨てられる。
「要するにこういうことでしょ。」と言い換えることが可能だ。
そこで、貫之が目指したのは、言い換えられない散文である。つまり、和歌のような散文だ。
それがこの文なのでである。「表現に謎解きの面白さを持たせ」たのは、そのためだ。
「をとこもすなる日記といふものををむなもしてみむとてするなり。」は、絶対に言い換えることができない。
だから、『土佐日記』の表現は、一字一句いい加減に読むわけにはいかないのだ。
丁寧に読んでいこう。
コメント
頭から仕掛けていたのですね。かきつばたの人ですもの、訳もなく不自然な文は書きませんね。恐れ入りました。読み進んで行けるものか不安ですが、物語を追う期待の方が大きい。大冒険に出掛ける気分です。
冒頭の一文ですから、特に力を入れて書いたのでしょう。それにしても、先がお思いやられます。貫之の頭のよさにどこまでついて行かれるか。まさに「大冒険」です。
どうぞ一緒に考えてください。
「かきつばたの人」とは、『伊勢物語』の東下りのことですか?あの歌自体は、業平の歌になっています。
私は鼻から間違えました。東下りのかきつばた、業平でした。でも、そう思うと、伊勢物語と土佐日記、先生の仰るように書き口が似ていて伊勢物語が紀貫之によって書かれたものと私も思えてしまいます。
テーマは全く違いますが、すいわさんに誤解を与えるほど『伊勢物語』と『土佐日記』はどこか似ていますね。
先生、難しいです。
なんだかついていけなくて。。。
私は学生時代、土佐日記をどうやって読んでたのでしょう。
ゆっくり読みます。
質問も出てこないくらい、難しくてよく分からなくて情けないです。
わかります。題材が身近ではありませんものね。内容的にとっかかりが見つけづらいでしょう。
そこで、日本語表現そのものについて学ぶ気持ちを持ってください。言葉はすべてを言い尽くすことなどできません。それどころか、ほんの一部しか表現できません。
とても不自由な表現手段です。リンゴの味やラジオ体操を言葉で表現することを思ってください。
その言葉を使ってどれほどのことが表現でき、伝えることができるでしょうか。貫之はそれに挑戦しています。それをたどっていきます。
丁寧に読んでいきます。一緒に学んでいきましょう。きっと、学ぶことは多いはずです。らんさんの表現にも好影響を与えてくれるでしょう。
先生、すごくわかりやすいです。
ありがとうございました。
文字とするという2つの意味があるのですか。
どちらかではなく両方の意味があるのですか。
だから変な言い方なんですね。
謎解きみたいな。
まだ一行ですがこんなに深いのですね。
読み解くのにものすごく時間がかかりそうです。
解説の文がわかりにくかったようなので、書き換えました。わかりやすくなってよかったです。
冒頭の一行は、特に念を入れて書いたに違いありません。他はこれほどではないでしょう。