彼は料《はか》らぬ深き歎きに遭《あ》ひて、前後を顧みる遑《いとま》なく、こゝに立ちて泣くにや。わが臆病なる心は憐憫《れんびん》の情に打ち勝たれて、余は覚えず側《そば》に倚り、「何故に泣き玉ふか。ところに繋累《けいるゐ》なき外人《よそびと》は、却《かへ》りて力を借し易きこともあらん。」といひ掛けたるが、我ながらわが大胆なるに呆《あき》れたり。
「ここは、豊太郎が思わずその少女に声をかけてしまった場面が描かれている。その少女は、思いもよらない深い嘆きに遭って、冷静な判断力を失って泣いているように見えた。だから、臆病な豊太郎は、同情の気持ちに負けて思わず傍によって声をかけたんだ。「なぜ泣いていらっしゃるのか。私はこの地に関係者がいない余所の者だから、かえって力を貸しやすいこともあるでしょう。」ってね。自分ながらその大胆さに呆れている。確かに、普段の豊太郎からしたら、そうだよね。なぜ、臆病な豊太郎にこんな大胆な行動ができたんだろう?」
「少女が可哀想だったからじゃない?」
「なぜ可哀想だと臆病な人でも大胆になれるの?」
「それは、自分の中に声を掛ける口実が生まれるからだよ。しかも、他人から非難されることも少なくなるからね。」
「そんなことを思っている余裕なんてないんじゃない?豊太郎が一瞬でその少女の心奪われてしまったからだよ。恋に時間は要らない。豊太郎は既に恋をしているんだ。」
「なるほど。でも、豊太郎は自身のそんな心理に気づいていない。ただただ、その少女の美しさに圧倒されている。」
この部分は、過去を振り返り帰りの船の中で書いていることを忘れさせるように書かれている。臨場感たっぷりだ。
豊太郎が少女に掛けた言葉は、少女の気持ちに寄り添ったものになっている。しかも、自分の立場を上手く踏まえている。それは、取り繕った言葉ではなく、真心から出た言葉だったからだ。豊太郎が本心から少女に対していることがわかる。
コメント
目の前の美しい少女の涙に「前後を顧みる遑」なかったのは豊太郎の方でしたね。うっかり近付いてしまって我に帰ったのか、少女の憂いを少しでも軽くしてやれないかと「大人らしい」声掛けをして思いやっています。自分でも自らの行動に驚いているけれど、この時、彼女が泣いていなかったら、出会ったのがクロステル街の路地でなく道ゆく人の絶えないウンテル・デン・リンデンの大通りだったら自ら声を掛けるには至らなかったのではないでしょうか。運命の歯車が噛み合った瞬間ですね。
現実的にはいくら流暢なドイツ語で話しかけられても、自分より遥か年上と思しき異性の外国人に声掛けられたら怖いと思いますが。
豊太郎と少女の〈物語〉は、幾つかの偶然が重なって始まりました。どの一つを欠いても、〈物語〉は始まらなかったんでしょう。
人はそれを〈運命〉と呼びます。一つの〈運命〉の歯車が噛み合えば、それまでの〈運命〉の歯車は狂い出します。