《八日の思い》

やうかの日よめる みふのたたみね

けふよりはいまこむとしのきのふをそいつしかとのみまちわたるへき (183)

今日よりは今来む年の昨日をぞいつしかとのみ待ち渡るべき

「八日の日に詠んだ  壬生忠岑
今日からは来年の昨日を早く来ればとばかり待ち続けるに違いないのだ。」

「今来む年の」の「む」は、未確定の助動詞で、未来を表す。「昨日をぞ」の「ぞ」は、係助詞で強調を表す。また、係り結びとして働き、文末を連体形にする。「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形である。
織女と牽牛にとってこの上なく幸せなひとときである七夕がとうとう終わってしまった。二人にとっての一年は、七夕の一日のためにある。今日からは、幸せな昨日を思い出しながら、来年の昨日が来るのを待ち続けることになるだろう。何とも、あわれなことだ。
「八日の日」「今日」「今来む年」「昨日」と時を表す言葉を巧みに用いて、八日の思いを表している。二人の意識の中心には、七夕があり、一年は七夕を中心に回っている。だから、八日は、毎年、七夕を昨日と感じる日なのである。それは、来年も変わらない。
この思いは、恋する二人の思いではあるけれど、同時に、誰しもの思いでもある。八日は、七夕あっての日なのだ。そんな八日の季節感を表している。

コメント

  1. すいわ より:

    なるほど八日は隣なのに「七夕」から一番遠い日なのですね。その日の情熱が消えぬよう、大切に大切にまたひと日ひと日を暮らして行く。繰り返されるドラマをギャラリーも変わりなく待ち望む。この果てしない物語が今も続いている事に何か感動を覚えました。久しく縁遠くなっておりましたが今年は七夕飾り、作ろうと思います。

    • 山川 信一 より:

      七夕を来年の昨日という捉え方をするのは、七夕の喜びを忘れないようにしようと思いなのですね。七夕が如何に大事な行事かが伝わって来ます。
      考えてみれば、七夕はもうすぐです。素敵な七夕を過ごしましょう。

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