自嘲癖

 旧詩を吐き終った李徴の声は、突然調子を変え、自らを嘲《あざけ》るか如《ごと》くに言った。
 羞《はずか》しいことだが、今でも、こんなあさましいに身と成り果てた今でも、己《おれ》は、己の詩集が長安《ちょうあん》風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。岩窟《がんくつ》の中に横たわって見る夢にだよ。嗤《わら》ってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。(袁傪は昔の青年李徴の自嘲癖《じちょうへき》を思出しながら、哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐《おもい》を即席の詩に述べて見ようか。この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きているしるしに。
 袁傪は又下吏に命じてこれを書きとらせた。その詩に言う。
   偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃
   今日爪牙誰敢敵 当時声跡共相高
   我為異物蓬茅下 君已乗軺気勢豪
   此夕渓山対明月 不成長嘯但成嘷

 美鈴の番だ。難しいところに当たったね。漢詩は読めるのかな?
「李徴が自嘲している。なぜかな?純子、わかる?」
「李徴は、虎になってまで詩にこだわっている自分を、袁傪がきっと笑っているんだろうなと思います。だらか、先回りして自嘲することで、傷つかないようにしているのではないでしょうか?自分が気にしていることを他人に同じように思われたり、まして、口に出して言われたりするのはすごく傷つきます。だから、自分では既にわかっているんだと先回りして言うことで、自分を守っているんです。」
「純子もわかっているね。誰しもこういう自嘲の心理あるよね。袁傪に「詩人に成りそこなって虎になった哀れな男」だと思われたら嫌だものね。他人から同情されるのは、李徴のプライドが許さないよね。実際その通りなんだけどね。」
「李徴にはそもそも自嘲癖があったんだね。ただ、自嘲の心理ってそれだけじゃないよね。むしろ、自嘲することで、相手のそうじゃないって否定してほしいんだ。それで安心したいんだ。だから、相手に甘える心理でもあるね。」
「李徴は昔から相手の反応を気にしていたんだね。でもさ、自嘲するのもわからないわけじゃない。だって、そうしないと、相手にいい気になっているとか思われる可能性があるからね。」
「うん。だから、あたしもたまに自嘲する。生きる上での生活の知恵だよね。そう言えば、コロナで自粛していた時期、自殺者の数が激減したんだって。人間関係はコロナより怖いってことがわかったよね。」
「虎になっても、人間だった頃の癖が出たんだね。やっぱり、李徴は全然変わっていないね。」
「袁傪がそれを哀しく聞いていたのはなぜ?」
「虎の中に李徴が生きていることがますます明らかになったからじゃない?可哀想な男だなあって。」
「李徴は即興の詩を読むよね。なぜそんなことをしたんだろう?」
「虎の中に李徴が生きていることを示そうとしたんじゃない?今だって作れるんだって。」
「それは、自身もそう言っているからわかるけど、なぜ示すの?」
「自分がどんなに詩に執着しているかを示そうとしたんじゃない。」
「それはなぜ?」
「自分が虎になったことで詩人になり損なった悲劇の人であることを言いたいんだよ。自分は今でも詩人なんだってことを示したいんだ。」
「わかるけど、なんでそれを示さなきゃならないの?」
「実はそうじゃないからじゃない?李徴は本当は詩人じゃないから。李徴自身にも自分がそうじゃないってわかっていたんだ。それを見破られたくなかったから。」
「となると、あの自嘲も別の意味を持ってくるね。自嘲したのは、自分がいかに詩に固執しているかを示すためのポーズじゃない?むしろ、「詩人に成りそこなって虎になった哀れな男」だと思われ」たかったんだ。だって、それなら李徴の自尊心は少しも傷つかないもの。」
「そこまでする!」
「李徴ならやるね。李徴はそういうやつだよ。」
「美鈴、漢詩の書き下し文にするとどうなるのか、調べたよね。言って。純子にわかるように意味も言ってね。」
「はい。
偶(たまたま)狂疾に因り殊類と成る 災患相ひ仍(よ)りて逃がるべからず
今日の爪牙(そうが)誰か敢へて敵せんや 当時声跡共に相ひ高かりき
我異物と為りて蓬茅の下にあれども 君は已に軺(よう)に乗りて気勢豪なり
此夕べ渓山明月に対し 長嘯をなさず但だ嘷(こう)を成すのみ
(偶然、精神病に罹って異類となってしまった。災いが内からも外からも襲ってきて逃れることができなかった。今日は鋭い爪と牙を持つ身になり、誰も敵対しようとはしない。当時は君も僕も共に評判が高かった。私は異物となって草むらのの中にいるけれど、君は輿に乗って勢いが盛んだ。この夕暮れ、谷や山にいて、名月に向かって詩を吟じることはなく、ただ吠えるだけである。)
 ちなみにこれは七言律詩です。押韻や対句などの詩の形式は押さえています。」
「この詩を即興で作るんだから、大したものだね。袁傪の「作者の才の非凡を思わせる」「作者の素質が第一流に属するもの」が納得が行くよね。」
「でも、「このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか」もわかるような気がする。だって、この詩にイマイチ感動できないもの。これじゃ単にひがみを言ってるだけじゃない? 」
 李徴は袁傪に自分が悲劇の詩人であることを認めさせたかったんだ。なぜかと言えば、自分が詩人じゃないことがわかっていたから。そこで、自嘲を利用したんだ。いかに自分が詩に固執しているかを示そうとして。でも、なんでそこまでしなくてはならないんだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    「今でも」を繰り返していますね。その後、「夢に見ることがある」「見る夢に」ここも。間に挟まれた「岩窟の中に横たわって」「こんなあさましい身と成り果てた」がよりクローズアップされますね。自分で「哀れな男」と言ってしまっている。なる程、先生の仰る通り、袁傪の口から「哀れ」とは言わせない。天井知らずのプライドが欲しいのは「悲劇的な運命に翻弄される優秀な李徴」という名。その看板を手に入れることが自己の存在意義、生きた証なのですね。彼を心配して妻子が流す涙より?李徴の立場で自分が親友にお願いするのであればまず、家族の安否とかが先です。どこまでも自分の名誉に執着する李徴、ギリシャ神話のナルキッソスを思い出しました。

    • 山川 信一 より:

      問題は、李徴が印象づけている次の有様が決して彼のプライドを損なわないことなのです。「こんなあさましいに身と成り果てた今でも、」「己の詩集が長安《ちょうあん》風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見る」。
      つまり、ここでは、その有様を袁傪に否定してもらいたいのではなく、肯定してもらいたいのです。李徴は自嘲をそのために利用したのです。
      家族の安否を後回しにすることにも、李徴が何を一番に考えているかが表れていますね。ただ、家族については別の意味を持ってきます。それは後ほど。

  2. すいわ より:

    自分にとって不都合なことは、聞き手に否定させ、自分に好都合な事は肯定させる。自分の口からでなく相手の口からその言葉を引き出す。自分に起こった変身という如何ともし難い「不幸」さえも利用して自分の欲しい「正解」を巧みに相手に答えさせる。、、李徴は選択を誤りましたね、詩人でなく、政治“屋”を目指すべきでした。きっと歴史に名を残せたのではないでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      同感です。昨今の政治家の言を聞いていると、よくもぬけぬけとと思わざるを得ないことしばしばです。
      しかし、こんな政治屋が歴史に名を残せるとも思えません。残せても汚名に過ぎません。

  3. らん より:

    先生、李徴は袁傪に「笑わないよ。君は詩人だよ」と思ってもらいたかったのではないのですか。
    そうではなく、自分の詩の限界を知ったため、でもそれは言いたくない。プライドがあるから。虎になってしまったことを理由にすればそのことはバレないという心理なのでしょうか。
    難しくてよくわからないので教えてください。

    • 山川 信一 より:

      そのとおり、「李徴は袁傪に「笑わないよ。君は詩人だよ」と思ってもらいたかった」のです。
      だから、そのために自嘲するふりをしたのです。自嘲というのは、次のような心理です。「笑ってよ、あたしバカだよね。」に対して「笑えないよ、バカじゃないから。」です。決して、「そうだね。あんたバカだね。」ではありません。
      「笑ってくれ、虎になってまで詩にこだわる男を。」を自嘲すれば、普通ならこうなります。「笑えないさ、君はそんな男じゃない。」でも、李徴の願いはそうじゃありません。むしろ「虎になってまで詩にこだわる男」だと思ってもらいたいのです。
      その理由は、らんさんが言うように、李徴は自分の詩の限界を知っていて、袁傪にそれを悟られたくない。そこで、虎になってしまったことを理由にバレ内容にしているからです。

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