その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。――いや、この老婆に対すると云っては、語弊があるかも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、饑死をするか盗人になるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片のように、勢いよく燃え上り出していたのである。
美鈴の番だ。今日のところは、すごく面白い。どう切り込んでくるかな?
「ここには下人の心理の移り変わりが細かく書かれています。順を追って確かめていきます。まず、なぜ下人の心から恐怖が少しずつ消えていったのですか?」
「それは、老婆がしていることが死人から髪の毛を抜くということだったから。それほど大したことをしていなかったから。」
「そもそも猿のような老婆だったから。自分が怖がる対象ではなかったから。要するに自分より弱そうなことがわかったから。」
「では、「それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。」ありますが、その理由は何ですか?」
「こんな猿のような老婆のくせに、自分を怖がらせたからだよ。本当は自分が勝手に怖がっっていたんだけど、そのことに我慢ならなかったから。プライドが許せないって感じ?これじゃ、老婆にしたら言いがかりだね。」
「しかも、「少しずつ」というのが下人らしいね。〈憎んでも大丈夫かな?〉と注意深く確かめているみたい。」
「作者は、老婆への憎悪を、語弊があると言って、「あらゆる悪に対する反感」と言い換えています。そのことからどんなことがわかりますか?」
「「語弊」と言うのは、〈語の使い方が適切でないために誤解を招きやすい言い方。また、そのために起こる弊害〉と辞書にあるね。」
「作者には、初めからそんなことはわかっているのに、何でこんな書き方をしたのでしょう?」
「下人の心が初めは憎悪だったんだよ。それが次第に反感に変わってきた、それを表現するためでは?。」
「いや、変わってきたと言うよりも、スケールの大きなものに発展してきたんだね。」
「じゃあ、なぜ発展してきたのでしょうか?」
「難しいね。」
「それにしても、この反感の強さはどう?何でこれほど勢いよく燃え上がろうとしたの?」
「そのことを含めてもう少し考えたいね。」
すごい展開だ。なんで憎悪がそこまで大げさなものに変わるの?不思議だ。これは何を意味しているんだろう。きっと次に答えが用意されているんだろう。
コメント
老婆が髪を一本また一本と抜く動作が、一本ならばれまい、もう一本、まだ大丈夫、というような卑しさを感じさせるのもそうですが、その行為自体よりも卑小な老婆に恐怖を感じさせられる事に憎しみを抱く下人の心とは。世を味方に付けての義憤、と見せかけて、その正義は下人の内には無い。「悪を憎む心」の悪は、あくまでも「自分に不都合な事」であって、暇を出された事、ひもじい事、寒い事、面皰が痛む事などなど、全ての諸々を漠然と悪と一括りにして自分よりも弱いであろうターゲットに正義の顔をして投げつけようとしているように思えます。そうなるとただの八つ当たりですね。
下人が老婆に恐怖を感じなくなる理由、老婆を憎悪する理由、あらゆる悪に反感を抱く理由がそれぞれあります。
ただ、共通しているのは、すべて下人の都合によるものです。明日そのことがはっきりします。お楽しみに。
先生、下人は善人なんでしょうか。
悪は絶対許せないみたいな感じになっていますが。
この時点では、正義の味方になっています。
その理由は、下人が善人だからではありません。
なぜだかわかりますか?