下人の眼は、その時、はじめてその死骸の中に蹲(うずくま)っている人間を見た。檜皮色の着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木片を持って、その死骸の一つの顔を覗きこむように眺めていた。髪の毛の長い所を見ると、多分女の死骸であろう。
春菜先輩の番だ。あたしの気が付かないことを指摘してくれるかな?楽しみだ。
「「下人の眼は」となっているのはなぜ?なぜ〈眼〉が入っているの?」
「目を見張って驚いている下人の表情を想像させるため。ただ〈下人は〉と書くよりも効果的だから。」
「「檜皮色の着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老婆である」について、気が付くことは無い?」
「この順番は何だろう?恐らく下人がこの人物を認識していった順だね。着物の色から入って、最後に全体の印象を猿と言っている。」
「「檜皮色」は、黒ずんだ赤茶色。乾いた血を連想する。羅生門にいる老婆に似つかわしい色だね。」
「「背の低い、痩せた、白髪頭」からは、その老婆がかなりの年寄りであることがわかる。」
「「猿のような」という比喩は何を表しているのか?」
「まず見た目の印象だね。猿だから、小さくて人間以下の下等な生き物のように見えたんだ。」
「既に「下等」に下人の気持ちが出ているけど、それに加えて、多少怖くはあるけれど、それほど強そうには思えない、そんな気持ちを表している。」
「老婆の行為の描写が与える効果は?」
「何でそんなことをしているのか、一体何を始めるのかという思いにさせる効果。」
そこにいたのは老婆だったんだ。何をするつもりなのかな?また動物の比喩が出て来た。これは、我々が一般的に猿に対して感じる思いを利用しているんだ。つまり、珍しさと軽蔑と怖さが入り交じった感情だ。これは、何を意味するんだろう?
コメント
嗅覚を奪う程の驚きの原因が「猿のような老婆」、読者側からするとおよそ力のないであろう老婆は気味悪くはあっても嗅覚を奪われる程の恐怖は覚えないように思えます。でも、生きている人間が恐ろしい下人にとっては人のいるであろう事を予想はしていても人そのものに対する恐怖の強さから嗅覚は奪われ、残る視覚、全身を眼にして老婆の姿を捉えたのでしょう。
「蹲っている人間」なのに背の低いと書いたのはなぜかと思ったのですが、おそらく背が低い上に曲がってより小さく、蹲っているように見えたのかもしれません。灯した火に顔が赤く照らされて、檜皮色の着物、その姿、やはり猿の如く見えたのでしょうね。
猿のような老婆ですから、冷静になってみれば恐怖を感じるはずもありません。下人は思い込みから恐怖を感じてしまったのですね。
背が低いと書いたのには、理由がありそうです。それはこれからわかってきます。
目だけ独立して老婆を見ているみたいでギョッとしました。
死体の中でモゾモゾと老婆が動いている様子が目に浮かびます。
同じ人間だとは思えなかったでしょうね。不気味ですもの。
「眼は~見た。」という書き方は、その時の下人の表情、気持ちをよく表していますね。らんさんの思いからもよくわかります。
猿というたとえが老婆に対する、感情や評価をよく表しています。私たちが猿をどう見ているかを思い出すといいですね。