作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申の刻下りからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。
一回りして若葉先輩に戻った。先輩は、いつものようにすぐに問題を出した。
「「作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。」とあるけれど、こんな形で「作者」が顔を出したのはなぜ?」
「なんか物語らしくないよね。と言うことは、単なる物語として読んでほしくないからじゃない。書き出しの「ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。」はいかにも昔話って感じだったから、それを否定したかったんだよ。」
「じゃあ、なぜ最初からそう書かなかったの?作者にはわかっていたことなのに。」
「あの時は、まず簡単に場面を説明する必要があったからだよ。ここは、話を進める必要があるから。それぞれ事情が違うんだ。」
「ここで下人が主人から暇を出された事情が述べられるね。下人は取り敢えず〈「奉公人・使用人」〉で合っていたね。」
「旧記にもあった京の状況と下人の関わりが述べられる。下人は単に雨止みをしているだけじゃなくて、途方に暮れていたんだ。」
「人の気分は天気にも左右されますね。程度は人によりけりだけど、下人は少なからず影響されていたんですね。」
「「Sentimentalisme」はフランス語で〈感傷癖〉という意味なんだけど、なぜ横文字を使ったの?」
「これも「作者」が顔を出したのと同じ理由で、この作品が単なる昔話じゃなくて、現代的な意味を持つ小説だって言いたいから。」
「それと、読者を選別している。この小説は、この言葉がわかる人に向けて書いているんだって。わからない人は相手にしていませんってね。」
「下人には〈感傷癖〉があるみたいだけど、どっちかというと悲観論者なんですね。」
「「四五日前に暇を出された。」とあるけど、この日数の意味するところは?」
「行く当てもないし、多分食べるものないし、途方に暮れていたこと。そろそろ限界に近づいている。」
「これが一、二、三日くらいなら、肉体的にも精神的にもまだ余裕がある。五六日だと肉体的にも精神的にも弱ってくる。四五日だとギリギリのところにある。」
「つまり、下人の弱り具合を示しているんだ。正常の範囲をギリギリ保てる限界にあったってこと。」
「「云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして」とあるように、八方手を尽くしたけど、どうにもならないことを示している。」
「「申の刻さがり」って、何時頃?」
「大体十五時から十七時の間。「さがり」は〈過ぎ〉っててこと。つまり、「暮れ方」をより正確に言い換えたんだね。」
「悩むことがあるのに、雨だし、日は暮れてきたしで気が滅入るよね。」
この段落には、下人の置かれている状況と心情が書かれている。下人はかなり追い詰められていることがわかる。
コメント
「作者は」と書かれることで、書き手と読み手が同じテーブルに着いて羅生門で今まさに繰り広げられている出来事を見ているような臨場感を生んでいるように思えます。百物語の九十九番目の話を聞いていて、次に進んでしまったら何かが起こる、というような期待値の高まりを共有出来る共犯者を作者は選んでいる。夢物語としてのお話ではなく、読み手を目撃者としてお話の構成員に組み込んでいるようです。具体的な数字、時刻を提示されると下人の心情をはかりやすいですね。例えば1週間の曜日に当てて考えてみると、月曜に始めた事がピークの水曜に目処が立たないまま迎える木金曜はなかなか辛いものがあります。しかも取り巻く環境に明るい兆しが見えないとなれば下人でなくともSentimentalismeに支配されそうです。無為に過ぎる時間、なす術もなく最低限の身繕いすらままならず肌の荒れに苛つく下人。闇が迫っています。
そうですね。作者は読者の立場まで計算して書いています。作者と対等の立場に立たせて、この事件を共に考えてもらおうとしていますね。
すいわさんが1週間の挙げていますが、こういう思考法はとてもいいものです。自分の問題として考えられるからです。
それにしても、面皰を気にするのは何を意味しているのでしょうか?そもそも面皰を気にするとはどう行く心理なのでしょう?
いきなりフランス語が出てきてびっくりしました。
高尚なんですね。この言葉がわからない人は相手にされないのか。。。
最初は物語のような書き出しでしたが、ここでは解説みたいな感じで
いろいろな文章の書き方があるんだなあと思いました。
四、五日という数字から、追い詰められて倒れそうな下人の姿が浮かびました。
古典を出してきたり、フランス語を出してきたりして、この作品の価値を暗示しています。
フランス語は、少し読者を驚かせようとしたのでしょう。意味はその場でわからなくても調べればわかります。
臆することなく読み進めましょう。