ザッコ釣り

 牛乳瓶の荏胡麻を一口、ラッパ飲みの要領でほおばって、それをゆっくりとかみ砕く。これはすこぶるまずいものだが、もうすぐうまいものが食えるのだから、今朝はあまり気にならない。父親の土産のうまさをよく味わうためにも、かえって口の中をなるべくまずくしておくほうがいいのだ。父親の土産のうまさをよく味わうためにも、かえって口の中をなるべくまずくしておくほうがいいのだ。
 かみ砕いた荏胡麻を唾液といっしょに、前の川面へ吹き散らす。すると、それを争って食う雑魚の口で、川面はそこだけ夕立に打たれたようにあばたになる。そこへ短い竿をふわりと振って、小さな針を落としてやる。針には、湾曲したところに荏胡麻に似せた白い粒が付けてあるから、雑魚が間違えて食いついてくる。釣るというよりも、軽く引っ掛けて上げるだけだから、竿を静かに後ろの岸へ回して手元を振ると、雑魚は簡単に砂の上に落ちる
 盆前で、あまり暇な釣り人がいなかったせいか、よく肥えた雑魚ばかりで、それがぴちぴちと砂の斜面を跳ねながら水辺に並べた小石の柵を越えそうになるから、思わず、
「ばためぐなじゃ、こりゃあ。」
とどなりつけると、とたんに、足元の河鹿がぴたりと鳴きやんだ。


「書き出しの場面の時間に戻ったわね。事情がわかったので、ここからは落ち着いて読むことができる。もうすっかり、物語の世界に入ってしまった。と言っても、えびフライの謎はまだあるけどね。」
「荏胡麻ってまずいんだ。「口の中をなるべくまずくしておくほうがいい」ってあるけど、これはえびフライへが今一つ心もとない気持ちの表れだよね。」
「雑魚はこんな風に釣るのか。描写がすごく具体的で的確。その場にいるみたいに感じられるよね。」
「「川面はそこだけ夕立に打たれたようにあばたになる」なんて、その様子が目に見える。こういう描写力ってどうやったら身につくのかなあ?」
「「短い竿をふわりと振って」もそうですね。感じがよくわかります。白い粒は針に予め付いている擬餌ですよね。」
「「盆前で、あまり暇な釣り人がいなかったせいか」とあるけど、お盆は一大イベントなんだね。日本のハロウインだとも言われているよね。」
「今は、日本人もお盆よりもハロウィンになってない?しかも、単なる仮装イベントになってる。これってどうなんだろう?」
「河鹿を脅かしちゃったね。「ばためぐなじゃ、こりゃあ。」と言う怒鳴り声と河鹿の鳴き声が止んだという対照に臨場感があるね。その後、静けさが広がっていく感じ。」
「父親のために一生懸命に釣っていることがよくわかるね。怒鳴り声からも真剣さがわかる。」
 経験を言葉で置き換えることは不可能だけど、ここの描写はまるで自分が実際に経験しているみたいに感じられる。この作家の力量はすごい。

コメント

  1. すいわ より:

    荏胡麻油と聞くと食用というよりは油団とか、傘に貼る油紙を先に思い浮かべていました。私たちが今、手にする精製された「エゴマ油」と語り手が口に含んだ「荏胡麻(葉を粗く刻んだもの?)」は全く印象が違うのでしょう。撒き餌として魚が匂いを嗅ぎつけて集まる強烈な匂いなのでしょうね。返しの無い針に掛かった魚を竿の振りで手を触れる事なく外す、手慣れたものです。釣竿の糸の軌跡まで見えるようです。砂の上に跳ねる魚のピチピチという音。河鹿の鳴き声、語り手の一声ですっぱりと静寂に包まれる。読んでいて耳と鼻を支配されます。

    • 山川 信一 より:

      油団は、今ではある意味で高級な敷物になっていませんか?エゴマ油にしてもそうです。時代によって、社会によって価値は変わりますね。
      確かに荏胡麻の匂いもありますね。音だけじゃなく、匂いも効果的に使われていますね。作者の描写力によって、確かな世界が再現されています。

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