ルロイ修道士の手

 ふろしき包みを抱えて園長室に入っていったわたしを、ルロイ修道士は机越しに握手で迎えて、
「ただいまから、ここがあなたの家です。もう、なんの心配もいりませんよ。」
と言ってくれたが、彼の握力は万力よりも強く、しかも腕を勢いよく上下させるものだから、こっちのひじが机の上に立ててあった聖人伝にぶつかって、腕がしびれた。
 だが、顔をしかめる必要はなかった。それは実に穏やかな握手だった。ルロイ修道士は病人の手でも握るようにそっと握手をした。それから、このケベック郊外の農場の五男坊は、東京で会った、かつての収容児童たちの近況を熱心に語り始めた。やがて注文した一品料理が運ばれてきた。ルロイ修道士の前にはプレーン・オムレツが置かれた。
「おいしそうですね。」
 ルロイ修道士はオムレツの皿をのぞき込むようにしながら、両のてのひらを摺り合わせる。だが、彼のてのひらはもうギチギチとは鳴らない。あのころはよく鳴ったのに。園長でありながら、ルロイ修道士は訪問客との会見やデスクワークを避けていた。たいていは裏の畑や鶏舎にいて、子供たちの食料を作ることに精を出していた。そのために、彼の手はいつも汚れており、てのひらはかしの板でもはったように固かった。そこで、あのころのルロイ修道士の汚いてのひらは、摺り合わせるたびにギチギチと鳴ったものだった。


「「ふろしき包み」というのが時代を感じさせるわ。それと貧しさも。」
「ルロイ修道士は、気を遣っていたのよ。きっと「わたし」が不安だろうと思って。」
「安心させようと全身でその気持ちを伝えようとしたんですね。不器用だけど、人が良いことがわかります。」
「確かに、ルロイ修道士の人柄がこれだけでもわかるわね。」
「ところが、穏やかな握手だったんだ。「病人の手でも握るように」が伏線になっているんだよね。でも、ここでは理由が明かされていない。読者の興味を惹くためだね。」
「その代わり、ルロイ修道士の身の上が語られます。カナダのケベック州の農場の五男坊と。ここから、ルロイ修道士がなぜ修道士になったのかが想像されます。五男坊じゃ、農場では居場所がなかったんじゃないかな。」
「そのために、日の当たらない人生を送る人に優しくなれたのでは?作者はさりげなくルロイ修道士の人となりを紹介しているのね。」
「ルロイ修道士は、プレーンオムレツを頼んだんだね。一品料理とあるからそれだけを。じゃあ、「わたし」は何を頼んだの?書いてないよね。」
「余計なことは書かないみたい。」
「食事前に手を摺り合わせるのは、食べ物への感謝の気持ちの表れよね。あたしは、摺り合わせないで、手を合わせるだけだけど。」
「そうね。その時ギチギチと音がしたのは、農作業で手が荒れていたためね。ギチギチとい擬声語がリアルだわ。」
「それだけ食料を作ることに精を出していたんですね。食糧不足の時代だったのでしょう。」
「訪問客との会見やデスクワークよりこっちを優先したのはなぜかな?」
「養護施設を経営して行くには、外部とのやり取り、たとえば資金繰りとか、いろいろな仕事が有ったんじゃない。でも、ルロイ修道士はそれが苦手だったんだよ。対人交渉とかが得意じゃなかった。元々、農家の五男坊だったし、口下手で、それより体を動かしている方が好きだったんじゃないかな?」
「先に農家の五男坊を出してきたのは、そのことを言うための伏線だったのね。」
「段々、ルロイ修道士の人柄が明らかになってきたわね。」
「この小説は、手に焦点を当てて話を進めているみたい。」
 小説は、映像じゃないから何でもかんでも描写できない。だから、ある一点に焦点を絞って書いてある。この小説では、それが〈手〉なんだ。

コメント

  1. すいわ より:

    包みを抱えて入ってきた「わたし」、荷物はたいした大きさではないでしょう。でも、それが彼の全ての持ち物。荷物を胸の前で抱きしめると、背も自ずと丸くなり、尚一層、不安げに見えたのではないでしょうか。ただただ不安を取り去ってやりたい思いのルロイ修道士の「万力より強」い握手、前回、子供達は痛そうだと書きましたが、それどころではありませんでしたね。後に出てくる「ギチギチ」という擬声語と相まって、押し潰されそうな圧倒的な力強さと愛情の深さを感じさせます。「天使の十戒」から続く回想シーン、だが、と段落分けされてはいるものの、今現在にすっぱりと切り替えられて、読んでいて驚きました。それくらい、「わたし」がルロイ修道士の手に触れた瞬間の違和感、過去から一瞬にして現在に引き戻されるほどの、はっとする感覚を共有した思いです。一度気になるとルロイ修道士の手に意識が自然と注がれます。野良仕事で荒れた無骨な手の面影も感じられない「わたし」。それが単に老齢になったから、という理由で納得できるだけのものでは、ないのでしょう。

    • 山川 信一 より:

      「「わたし」がルロイ修道士の手に触れた瞬間の違和感、過去から一瞬にして現在に引き戻されるほどの、はっとする感覚を共有した思いです。」から優れた読書の態度が感じられます。
      作者の仕掛をちゃんと受け取っています。これから「わたし」の違和感の正体が明かされていきます。

  2. らん より:

    なるほど、なるほどと思いました。
    みんな、すごいなあ。
    五男坊ということからいろいろなことが想像されます。
    私も「わたし」が何を頼んだのか気になります(^ ^)
    ビーフシチューかな。
    穏やかな握手というところで、私は胸が苦しくなりました。
    昔はすごい握力だったのですよね。
    なのに今は。。。
    この握手に込められた想いとかを思うと、勝手な想像ですが、涙が出そうになりました。
    ルロイ修道士はとてもいい人なんだろうなあ。

    • 山川 信一 より:

      「病人の手でも握るようにそっと握手をした。」とありますね。これは、読者にそのわけをいろいろと想像させますね。
      まず思うのは、ルロイ修道士が年を取ったからかな。きっと力も弱くなって、気持ちも穏やかになったんだとか。
      そう思わせた上で、それを裏切っていきます。巧みな文章構成ですね。

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