「もう、結構。」

 友人は、一つのちょうを、ピンの付いたまま箱の中から用心深く取り出し、羽の裏側を見た。
「妙なものだ。ちょうを見るくらい、幼年時代の思い出を強くそそられるものはない。僕は、小さい少年のころ、熱情的な収集家だったものだ。」
と、彼は言った。
 そして、ちょうをまた元の場所に刺し、箱のふたを閉じて、
「もう、結構。」
と言った。


「ちょうの羽の裏側まで見てるから、よほどちょうが好きなんですね。」とあたし。
「普通こんな見方はしないよね。知りたいとも思わない。ピンの付いたまま用心深くというのも慣れている感じがする。ちょうの羽は表と裏じゃ模様が違うのかな?」と真登香先輩。
「違うんじゃない?多分役割が違うから。表はメスを誘ったり、外敵に備えたりとか。裏は逆に目立たないようにするためとか。それぞれにふさわしい模様になっているはず。私、虫は嫌いだけど、結構理科が得意なんだ。ほら、これ見て。これはディディウスモルフォ と言うんだ。表は青くてきれいだよね。でも、裏はちょっと違っている。」と若葉先輩。
 早速スマホで調べて見せてくれた。なるほど、全然違う。裏には目玉みたいな模様がある。
「それにしても、その後の友人の様子は只事じゃないみたい。友人は何かを思い出したのね。」明美班長が話題を変える。
「でもさあ、自分から見せてほしいと言ったのに、「もう、結構。」はないわよね。何よこの人。」と若葉先輩が嫌な顔をする。
 同じような経験があるのかな?
「友人の台詞からすると、それはどうも、幼年時代に原因がありそうね。」と明美班長。
 友人の不可解な反応が読者に友人の幼年時代への関心を抱かせる効果を上げているんだ。その訳が知りたくなるものね。

コメント

  1. すいわ より:

    これからどう物語が展開されていくのか、期待が高まります。

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