第九十八段 ~権力に媚びる~

 昔、おほきおほいまうちぎみと聞ゆる、おはしけり。仕ふまつる男、九月ばかりに、梅の造り枝に雉をつけて奉るとて、
 わが頼む君がためにと折る花はときしもわかぬものにぞありける
とよみて奉りたりければ、いとかしこくをかしがりたまひて、使に禄たまへりけり。


 昔、太政大臣(「おほきおほいまうちぎみ」藤原良房)と申し上げる方がいらっしゃった。お仕え奉る男が、九月ほどに、梅の造り枝に雉を付けて奉る時に、
〈私が頼りにしているご主人様のために折った枝は、九月であるのに、時節をわきまえぬものでありました。〉
と詠んで奉ったところ、たいそう感激なさって、使いに褒美をお与えになった。
 雉を贈るのにことよせて、この歌を贈った。「ときしもわかぬ」とは、、時節もあなたに従う、ましてや、私は言うまでもありませんと言うことだ。「ときしも」の中に「きじ」が隠されている。この場合、清濁は問題にされない。こういう歌を〈物名(もののな)〉と言う。高度なテクニックを要する。この歌なら喜ばないはずがない。禄を賜るはずである。
 ただ、権力者にここまで媚びなくてもいいと思うのだが。それとも、時節をわきまえぬというところに、権勢への皮肉を込めて歌ったものか。

コメント

  1. すいわ より:

    あまりにも露骨に媚びへつらっていて、気持ちの良いものではないですが、上手い歌で大臣の心はしっかりと掴んで禄を手にしたのですね。上手い歌を読み解くだけの才覚はある、器量を見極め、さて、次の一手は?我が世の春と権勢をふるう人の懐に入ってフェイクの春を贄とともに届ける。食うか食われるかの政治ゲーム。この人は成り上がるというよりは、寄らば大樹の口のようですが。「心ごもり」の贈り物を受け取れる人は幸い、それが物であっても、言葉であっても。八十五段の親王からの賜り物は温かでしたね。

    • 山川 信一 より:

      歌のこんな応用って、どうなのでしょう?作者の意図って何なのか、計りかねます。
      まあ、いい悪いの価値判断はさておき、恋に生きる男と政治に生きる男が対照的に描かれています。
      それで、恋に生きることの一面は明らかになっています。

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