昔、男、津の国、菟原(うばら)の郡(こほり)、蘆屋の里にしるよしして、いきてすみけり。昔の歌に、
蘆の屋のなだのしほ焼きいとまなみつげの小櫛もささず来にけり
とよみけるぞ、この里をよみける。ここをなむ蘆屋のなだとはいひける。
この男、なま宮づかへしければ、それをたよりにて、衛府の佐(すけ)ども集り来にけり。この男のこのかみも衛府の督(かみ)なりけり。その家の前の海のほとりに、遊び歩きて、「いざ、この山のかみにありといふ布引の滝見にのぼらむ」といひて、のぼりて見るに、その滝、ものよりことなり。長さ二十丈、広さ五丈ばかりなる石のおもて、白絹に岩をつつめらむやうになむありける。
昔、男が津の国の菟原の郡、芦屋の里に領地があった縁で、行って住んでいた。昔の歌に、
〈芦屋の灘の、葦で葺いた小屋に住む海女は、潮を焼く仕事が忙しくて(「いとまなみ」)、黄楊の小櫛も指さないでやって来た。(仕事が忙しい中での逢瀬を言う。)〉
と詠んだのは、他でもない、この里を詠んだのだ。昔からここを芦屋の灘と言ったのだ。
この男、要職ではない宮仕え(「なま宮仕へ」)をしていたので、それを頼りにして、衛府の次官(「左」)の若いやつらが集まってきた。この男の兄(「かみ」)も衛府の長官(「督」)だったのだ。その家の前の海のあたりに遊び歩いて「さあ、この山の高いところ(「かみ」)にあるという布引の滝を見に登ろう」と言って、登って見ると、その滝は、他の滝(「もの」)とは異なっていた。長さが六十メートル(「二十丈」)、幅十五メートル(「五丈」)ほどの岩の表面は、白い絹に岩を包んでいる(「つつめらむ」)ようであった。
衛府の関係で仲良くなった者同士が誘い合って物見遊山に集まった。布引の滝は正確に描写されている。滝の様子が目に浮かぶ。
コメント
これまでにも、親しい者同士での旅が描かれてきましたが、いずれの旅も大らかで、晴ればれとした雰囲気。政治的成功からは道の逸れた人、要職に就いていないから旅する時間がある、という事なのでしょうか。社会的に地位を築き周りから認めらる事に価値を見出すか、自分自身の心に従い旅をし、恋に生きるか。価値観の違い、人それぞれですね。
明日、この続きをお読みになるとはっきりしますが、要職に就いていないので、旅をする時間があるのです。政治的に不遇であるために、こうして憂さ晴らしをせざるを得なかったのです。当人たちは、このことに積極的な意味を見出すところまでは行っていないようです。作者の考えはまた別にありそうですが。