第八十二段 ~その二 酒宴~ 

 また、人の歌、
 散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき
とて、その木のもとは立ちてかへるに、日暮になりぬ。御供なる人、酒をもたせて、野よりいで来たり。この酒を飲みてむとて、よき所を求めゆくに、天の河といふ所にいたりぬ。親王に馬の頭、大御酒(おほみき)まゐる。親王ののたまひける、「交野を狩りて、天の河のほとりにいたる、を題にて、歌よみて盃はさせ」とのたまうければ、かの馬の頭よみて奉りける。
 狩りくらしたなばたつめに宿からむ天の河原にわれは来にけり

 また、別の人の歌、
〈散るからこそますます桜の花は素晴らしいのだ。しかし、そもそも、つらいこの世にどうして永くいるいるべきだろうか。かえって、つまらないことだ。さっと散ってしまう方がいいのだ。〉
と言って、その木の本は離れて帰ると、日暮れになってしまった。お供である人が酒を従者に持たせて、野原の中から姿を表した。この酒を全部飲んでしまおう(「飲みてむ」「」は人為的完了の助動詞〈つ〉の未然形)と言って、酒宴を開くのによい場所を求めていくと、天の河というところ(今の大阪府にあった川)に至った。親王に馬の頭がお酒を勧める(「まゐる」)。親王がおっしゃっることには。「(どうせなら、ただ盃をさすのではなく)交野を狩りして、天の河のほとりに至る、これを題にして歌を詠んで盃をさせ。」とおっしゃったので、その馬の頭がお読み申し上げた、
〈日が暮れるまで狩りをして過ごしました。今宵は織り姫に宿を借りましょう。気付いたら私は天の河原に来てしまったので。〉
 別の人が詠んだ歌は、前の「世の中に」に対抗した歌である。散らないで欲しいと言うので、言い返した。ただ「憂き世になにか久しかるべき」は、不遇であった親王の思いを代弁しているようにも思える。
 天の河の歌は、『古今和歌集』の羈旅にとられれている。天の河なので、織り姫を出してきた気の利いた歌である。

コメント

  1. すいわ より:

    花時の短い、一斉に散り行く儚さの中にあわれを感じ、寧ろ心に残る存在の桜。浮き世の憂さも風に舞う花びらと共に空へと放ち、花筏となって天の川に溶かしてしまえばいい。奈良の天川だったら吉野の桜と繋がると思ったのですが、大阪の川なのですね。

    • 山川 信一 より:

      優雅な鑑賞ですね。この時は、現実とは違う時間が流れていたのでしょう。優雅で夢のような時間が。
      人がそれを現実逃避と言ったとしても。

  2. すいわ より:

    「憂きも一時嬉しきも思い醒ませば夢候よ」って恋の歌、ありましたか?不遇の身を憂いて自己を崩壊させるか、現実逃避するか。菅公のように怨霊になるくらいなら、牽牛に成り代わって一夜の夢と織女とランデブーの方がいいかなぁと。男の人は政治ゲームの方が良いのでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      「憂きも一時嬉しきも思い醒ませば夢候よ」は閑吟集にあります。室町時代に流行ったそうです。
      政治ゲームの夢から女が男の目を覚ましてあげる必要がありそうですね。

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