昔、男、伊勢の国なりける女またえあはで、となりの国へいくとていみじう恨みければ、女、
大淀の松はつらくもあらなくにうらみてのみもかへる浪かな
昔、男が、伊勢国にいた女がまた逢うことができず、隣の国に行くということになり、逢えないことをたいそう恨んで文句を言ったので、女が
〈大淀の松はつらく当たっているわけでもないなのに(「あらなくに」)、ただ浦を見て寄せては帰る波であるなあ。私はあなたにつらく当たった訳じゃない。仕方の無い事情があっただけなのに、私のことを恨んで、京に帰っていくのね。〉
「大淀の松」は、女が自分をたとえている。「うらみ」は、〈浦見〉と〈恨み〉の掛詞。
地の文は、動作の主が特定しにくい。ここは、言葉を正確にたどり理屈に合うように主語を選ぶしかない。また逢えない事情があったのは女で、隣の国に行くことになり、逢えないことを恨んでいるのは男である。
これは、第七十一段の女(女官)であるらしい。あの歌の後で、二人は逢ったのだろう。恋の情熱がいかに凄まじいかがわかる。
コメント
「君から始めた恋だよね、だのに私がここを立たねばならないのに逢えないなんてつれないねぇ」とでも言われたのでしょうか。「だって私、仕事で都合がつかなかっただけなのよ、そんな恨み言だけ残して貴方は帰ってしまうのね」舞台は大淀、斎宮の禊の手伝いだったりして。
この段の文章は、意味を取るのが難しい。「伊勢の国なりける女またえあはで」は、女が主語になっています。これが「女に」となっていたら、すっきりするのですが・・・。
でも、そうなっていない以上、こう解釈するしかありません。すいわさんの解釈でいいと思います。斎宮の禊ぎの手伝いかもしれないですね。
ここまでいくと、理解を超える心理です。