むかし、男、津の国にしる所ありけるに、あにおとと友だちひきゐて、難波の方にいきけり。渚を見れば、船どものあるを見て、
難波津を今朝こそみつの浦ごとにこれやこの世をうみ渡る船
これをあはれがりて、人々かへりにけり。
昔、男が摂津国(「津の国」今の大阪府と兵庫県にまたがるあたり。)に領有す
(「しる」)土地があったので、兄弟や友人を引き連れて、難波の方へ行った。渚を見ると、船が何隻もあるのを見て、
〈難波の津を今朝初めて見ました(「みつ」)。その御津(「みつ」〉ごとに、これがまあ、あの(「これやこの」)、この世をつらく思って(「うみ」)過ごすように、海(「うみ」)を渡る船なのか。〉
この歌に(わざわざ行った甲斐があったと)深く感動して、人々は帰ってきた。
「みつ」「この」「うみ」と、掛詞を三カ所も使っている。技巧的な歌である。ただ、人々が感心したのは、これが内容的にも優れていたからである。「この世」とは、男女の仲を言っている。恋をするとは、船で大洋に出るようなものだと言う。今はようやく港に帰ってきているのだ。今の自分のようにと。実感のこもったたとえである。
気心の知れた者同士の旅は、恋の息抜きになる。
コメント
気楽な男同士での旅。青い海に白帆を挙げた幾隻もの船、自分たちの旅姿になぞらえたのですね。ぐっと視界が開けて旅の疲れを吹き飛ばしてくれる海風の爽快さ、恋も旅も大いなる冒険。歌わずにはいられなかったのでしょう。同じ時間を過ごし、感覚を共有出来る人たちがいるのは幸いです。
同性の友だちがいることは、恋をする上でも大事なのですね。そういう心の港があるから、恋という旅に出られるのです。
同性同士の旅は、大洋を航海する旅とは次元が違うようです。
恋をするとは、船で大洋に出るようなものなのですね。
その例えがとてもしっくりきて、なるほどなあと思いました。
港は友で落ち着く場所なのですね。
帰る場所があるのは幸せなことですね。
帰るところがあるから、恋という冒険の旅に出られるのです。
だから、男は、家族や友だちも大事にしています。