第五十三段 ~満たされない愛~

 昔、男、あひがたき女にあひて、物語などするほどに、とりの鳴きければ、
 いかでかはとりの鳴くらむ人しれず思ふ心はまだ夜ぶかきに

 なかなか逢えない女にようやく逢って、話などするうちに、鶏が鳴いて帰る時間になったので、
〈どうして(「いかでかは」は疑問。)、鶏が鳴いているのだろう。人知れずあなたを思う心は夜が深いままなのに。〉
 満たされない思いを訴えている。それは女にもう一度逢ってもらうためである。
 当時の恋の作法では、夜中に女の元に行き、暁(あかつき)前に帰ることになっていた。鶏が鳴く時分である。ちなみに第十四段の陸奥国では、女が鶏を憎む歌を詠んでいる。その歌と比べると、ここでの男の歌がいかに洗練された内容になっているかがわかる。自分の心を、夜明けのようにすっきりしないとたとえることで、見事に表現している。
 暁に帰り朝になると、男は女に歌を贈る。それが後朝(きぬぎぬ)の歌である。それは礼儀でもあったが、もう一度逢ってもらうためでもあった。このあたりの事情は、第一段~その一~を参照されたい。この第五十三段でも、歌の目的は同じである。

コメント

  1. すいわ より:

    やっとの思いで遂げることのできた逢瀬、ひと夜、語りあかしても、語り尽くせぬ思い。私の思いはどんなに語っても溢れ出て来ていついつまでも貴女との夢のような時間の中にあるというのに、朝が来るとは。
    きっと帰り着いてすぐ、取るものもとりあえず、歌を詠んで送るのでしょう。温もりの冷めてしまう前に。彼女が目覚めて一番にこの歌を目にするように。今日この日、彼女が一番はじめに思うのが私の事であるように。伝えるのは難しい、でも、伝えるのは大切ですね。

    • 山川 信一 より:

      この日は、後朝の歌まで待てなかったのでしょう。帰る時にも、その場で詠まずにはいられなかった。何としても、この逢瀬で女の心をつかまねばと必死だったに違いありません。
      自分の心を夜にたとえることで、女にリアリティを感じさせようとしたのです。上手くかどうは、相手次第ですけれど。

      • すいわ より:

        時をつくる鶏の声を聞いて詠んだのですね、私の心は未だ深い夜だというのに、と。気持ちが迅っている。今までの前例を見る限り、、。なるほど、前のめりな分、女は引いてしまいそう。

        • 山川 信一 より:

          女心は、やっかいですね。前のめりになると引く。恋の駆け引きは大変ですね。

  2. らん より:

    先生、こんばんは。
    幸せな時間は夜のままずっと止まってて欲しかったんですね。
    自分の心はまだ夜明けを迎えてないと。
    男の必死さが伝わってきました。
    この時代のルールはまるで男版シンデレラみたいです。
    シンデレラは12時の鐘でしたが、男は鶏が鳴いたら帰らなければならないのですね。
    寝て少し明るくなってから帰るのはルール違反なのですか。
    徹夜して眠そうだなあと思って、、、

    • 山川 信一 より:

      暁は夜明け前でまだくらい頃、夜が明けてはいけなかったのです。恋は夜のうちだったのです。
      確かにそれから家に帰って女に後朝の歌を贈って・・・眠かったでしょうね。
      仕事にも支障をきたしたでしょうね。

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