第三十四段 ~つれない女~

 昔、男、つれなかりける人のもとに、
 いへばえにいはねば胸にさわがれて心ひとつに嘆くころかな
 おもなくていへるなるべし。

つれなかりける」の〈つれなし〉は、現代語の意味と同じ。男が言い寄っても反応が冷たい・素っ気ないのである。そこで、男は、歌によって口説こうとする。
〈思いをあなたに言うとすると(「いへば」)、言葉にならない(「えに」は、〈得〉+打消〈ず〉の連用形)。言わないと(「いはねば」)、胸の中は自ずから乱れて、自分の心だけで(「こころひとつに」)嘆いている今日この頃です。〉
おもなくていへるなるべし」は語り手のコメント。「おもなくて」は、形容詞〈面なし〉で〈あつかましい・恥知らずだ〉の意。男女には相性がある。誰とでも上手くいくわけではない。中には、つれない相手もいる。それを心にもない言葉で、無理にでもものにしようという態度はよろしくない。この男もそうだったのだろう。モテる男にありがちな態度である。語り手は、この態度を恥知らずだと、批判しているのだ。
 この男の歌のようにいかに言葉巧みでも、心の伴わない歌は相手の胸に届かない。それに、女の同情を買おうとする仕方はありがちだ。いかに自分が本気かを伝えるつもりなのだろう。これで心動かされる女が多いのだろうか。

コメント

  1. すいわ より:

    いつも、本文をノートに取って、一度、声に出して読んでみて、これを傍らに置きながら、先生の解説を読み進み、あぁ、なるほど、と納得しております。
    三十段の「あふことは、、」の歌と今回の「いへばえに、、」同じようにつれない女へ贈った歌なのに、ノートに書き写した段階で、歌から受ける心象が違うのは何故でしょう?
    三十段の歌はどちらかというと、筆者の実感、今回の歌は、友人の行為で、「君、大概にしておきたまえよ、」というニュアンスを感じるからなのか、、そして、歌を書き送る先の女に、少なからず、筆者も思いがあるような、無いような、、。男女共々、その人は止した方が、という人に惹かれちゃう人、案外います。太宰治なんて、人としては駄目だけれど、いい作品書いてもてる男だったようですよね。

    • 山川 信一 より:

      すいわさん、真面目に勉強なさっているのですね。感激しました。私としても励みになります。ご期待に応えられるように一層努力します。
      三十段の女は「はつかなりける」でした。と言うことは、苦労してやっと逢えたのに、何らかの事情で逢えなくなってしまったという感じでした。
      語り手は、その事実のみを記してコメントしていません。こういうタイプの恋もあると認めているからでしょう。
      それに対して、今回は、こういうのはいけませんと言っているのでしょう。
      人としてダメでも、恋は別物のようですね。男にも女にも、破滅願望があるのかもしれませんね。そう言えば、こんな英語があります。
      chastity(貞操):A virtue against which Cupid is seldom stupid.

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