第九段 その一

 昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、あづまの方にすむべき国もとめにとてゆきけり。もとより友とする人、ひとりふたりしていきけり。道しれる人もなくて、まどひいきけり。三河の国八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河のくもでなれば、橋を八つわたせるによりてなむ、八橋といひける。

 これも教科書によく載っている有名な段である。第七段、第八段に続く同じ男の話として読むと、事情が重層的に詳しくなっていることがわかる。そのことで、徐々に男の真相に迫っていく感じがする。「京にありわびて」「京やすみ憂かりけむ」がこの段では「身をえうなきものに思ひなして」になっている。男は、自分の身を京には必要が無いと思ったのである。その理由は、おそらく第六段の失恋だろう。そう読めるように編集されている。失恋すると、生きている気力さえも無くなる。「もとより友とする人」と前段の「友とする人」に「もとより」が加わっている。親しさを強調している。
道しれる人もなくて、まどひいきけり。」「まどふ」は、「まよふ」に対して、選択肢さえないことを言う。無計画な旅だったのである。それでも、旅に出るしかなかったのだ。
三河の国八橋といふ所にいたりぬ。」第八段より更に遠くまで来たことを示す。
そこを八橋といひけるは、水ゆく河のくもでなれば、橋を八つわたせるによりてなむ、八橋といひける。
 名前のいわれを示しつつ、情景を説明する。異国まで来たことを思わせている。「なむ」による係り結びが使われている。この文を強調することによって、「八橋といひける」で強く切っている。現代の文章で言えば、段落替えのようなものである。

コメント

  1. すいわ より:

    いよいよ遠く、頼るものもない心細い旅。勿論、従者は伴っているでしょうけれど、この無計画な無謀な旅に付き合う友がいるあたり、良い漢なのでしょう。それにしても浅はかだなぁ、と思いましたが、彼らは中高生位なのですよね、忘れがちですが。考えるより先に行動してしまう年頃ですね。

    • 山川 信一 より:

      そうですね。初段は中高生くらいの年齢でしたから。でも、この段はあれから大分時間が経っています。第四段で昨年のことを嘆いています。
      大学生くらいの年齢にはなっていたのではないでしょうか。大学生ならこういう「ノリ」に付き合ってくれる友達がいますよね。いずれにしても、まだ若いことは確かです。若いときには無駄に時間を使うことを気にしません。
      男は、京に入る愛しい女性を忘れようとしてます。しかし、京から遠ざかるほどかえって恋しく思われてしまいます。なかなか非日常へは出られません。

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