見えざる声との対談

 後で考えれば不思議だったが、その時、袁傪は、この超自然の怪異を、実に素直に受容《うけい》れて、少しも怪もうとしなかった。彼は部下に命じて行列の進行を停《と》め、自分は叢の傍《かたわら》に立って、見えざる声と対談した。都の噂《うわさ》、旧友の消息、袁傪が現在の地位、それに対する李徴の祝辞。青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で、それ等《ら》が語られた後、袁傪は、李徴がどうして今の身となるに至ったかを訊《たず》ねた。草中の声は次のように語った。

 あたしの番だ。頑張るぞ。
「じゃあ、純子、前回の宿題の答えを言って。」
「これはいろいろ考えられます。でも、取り敢えずこうかな。自分がどうしてこうなってしまったのかを袁傪に聞いてもらい、同情してもらいたかったから。」
「そうだね。袁傪ならきっと自分ことをわかってくれるような気がしたんだね。誰だって、自分をわかってくれる人がほしいからね。その点袁傪は最適の人物だったね。みんなは、まだ何かあるかな?・・・無い?じゃあ、今はそういうことにして、読み進めるね。
「後で考えれば不思議だったが、その時、袁傪は、この超自然の怪異を、実に素直に受容れて、少しも怪もうとしなかった。」とあるけれど、この部分はどんな働きを持っているのかな?」
「読者にもそう思ってもらうためだよ。だから、作者は読者を袁傪の立場に立たせるように仕掛けたんだ。」
「ほんと、そんな気がしてくるね。そういうこともあるような気がする。」
「「見えざる声と対談した」って、面白い表現だよね。声は見えないに決まっているけど、その出所(表情)は、普通は見える。つまり、普通私たちは〈見える声〉と話しているんだ。そのことを思い出させる。そして、「見えざる声と対談した」ことの異常さが伝わってくる。見習いたい表現だね。」
「「青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調」の「あの」が効いているね。この「あの」は〈例の・ご存じの〉の意で、読者の経験に訴える表現だよね。」
「その流れで、袁傪はどうして虎になってしまったのかを聞くことになる。李徴は巧みにそこへ導いている。」
「李徴が語りたかったのはそれだからね。」
「じゃあ、純子。この段落で、他に気づいたことはない?次回に聞くからね。」
 人間が虎になるなんてあり得ない。でも、読者がそこばかり気にしていては、話にならない。そこで、そう思わせない工夫が要る。一つは、古代中国という舞台設定だった。それと、漢文調の重々しい文体だった。そして、ここでは、袁傪の気持ちがそうだ。これらによって、読者は大分素直に物語の世界に入っていけるようになった。

コメント

  1. すいわ より:

    「作者は読者を袁傪の立場に立たせるように仕掛けた」と言うのが納得できました。「物語」としての不自然なことだらけな点がフォーカスをぐっと袁傪に絞ることで余計な情報が遮断されて袁傪目線になり、李徴と袁傪、二人の会話に意識が集中していました。「袁傪一行」だった事を忘れるくらいに。思わぬ所での旧友との再会、和やかにお決まりの世間話を袁傪がひとくだりした後、それで李徴、今の君は?という所で一気に空気が緊張します。李徴はこの一言を待っていたのですね。

    • 山川 信一 より:

      袁傪という好人物は、話の聞き役としては最適の人物ですね。作者は、袁傪をそういう人物に仕立てています。
      私たちは現実にこういう人物がいるのを知っています。作者は実に巧みに読者の心理をつかんでいます。
      李徴は巧みに袁傪を誘導しましたね。この辺りはとても自然な流れになっています。

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