楼の内には・・・

 見ると、楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸が、無造作に棄ててあるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるという事である。勿論、中には女も男もまじっているらしい。そうして、その死骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、土を捏ねて造った人形のように、口を開いたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖(おし)の如く黙っていた。

 美鈴の番。美鈴は最近メガネを止めてコンタクトにした。背も高くなって、あたしと同じくらいになった。何だか自信に満ちている。女の子は変わるなあ。
「「見ると」とあるように、ここでも見るという動作を指摘しています。この作品は徹底的に視覚的に書かれています。これによって、読者も楼の内の様子を語り手や下人と一緒に見ている気になれます。さて、「死骸」とあります。これまでは「死人」でしたが、なぜ言い換えたのでしょうか?」
「それは、到底人とは思えなかったからだよ。後に、「その死骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、」とある。」
「裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるのはなぜですか?」
「価値のありそうな着物は、売り飛ばすために剥がされたからだよ。当時は生きているからには何でもしたんだ。」
「みんななりふり構わず生きていたんだね。となると、下人がそうできないのが不思議。余計に気になるね。下人は人と変わっているのかな?」
「また「勿論」が使ってある。でも、「勿論」を「らしい」で受けるのは少し違和感がある。もちろんは、普通、断定と呼応するよね。」
「つまり、こういうことじゃないかな?「中には女も男もまじっているらし」く見えるけど、これは、勿論のことである。」
「「生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど」とあることから何がわかりますか?」
「腐乱が進んでいることだね。」
「「土を捏ねて造った人形のように」とか「唖の如く」とかあるけど、この直喩が意味していることは何ですか?」
「腐乱しているため形状が崩れて、人間の形を留めていないこと。」
「それと、下人の思いからすると、それらが無害で気にならないこと。人形や唖は、自分に何も危害を加えないから。」
「下人は相当人を恐れているよね。聖柄の太刀を売らずに手放さなかったのもそのためじゃない?」
「そうだね。いざとなったら、盗人をしようと思って持っていた訳じゃない。護身用に持っていたんだ。それくらい人が怖いんだよ。」
 下人に盗人なる勇気が出ないことと、死骸が気にならないことは繋がりそうな気がしてきた。下人は、生きた人間が怖いのだ。なぜなら、生きた人間は自分に危害を加えるだけじゃなくて、自分に評価を下すから。死人ならそれをしない。下人は、自分に自信がない。すごく人の目を気にしている。〈人の評価=自分〉だからだ。だから、人に見られたくないんだ。最近はコロナの影響でマスクをするのが普通だけど、少し前マスク族と言われる人たちがいた。マスクをして顔を隠そうとする人たちのことだった。あれも人の目を気にしていたからだ。下人に通じるところがある。彼らは現代の下人かも?

コメント

  1. すいわ より:

    普通なら、一番先にあかりの元へ視線が行きそうですが、臆病な下人、火を持つ人物に見つからないよう、梯子を上がった床面すれすれに目の位置を持って行ったのでしょう。視線の位置が低い。「勿論…らしい」は断定的に言うつもりだったものの、腐敗で男女の区別もつかない、かろうじて着ているもので判別がつくか?という事も手伝って推量になっているのかとも思いました。死骸をヒトと認識しているのなら、普通なら顔、特に目に視線が行きそうなものです。落ち窪んだ目なんておそろしいでしょうに、下人にとっては全くのモノ、関心事からすっかり取り払われています。他者が自分を見て、あいつはこういう奴だと判断を下されるのが怖い、だから開かれた口元が怖い。指差す指先が怖い。発せられる言葉がない限りは傷付けられないし、その言葉を聞く第三者に自分を知られる恐れもない。一貫して臆病な姿勢は変わらないものの、自分を規定されないために目まぐるしく表向きの印象を変えているのでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      下人の視線の動きが下人にふさわしく、巧みに書かれていますね。
      下人にとっては、死人の方が気にならないようです。ここまで来れば恐れ入ります。
      戯れにこんな短歌を作って見ました。〈生者忌避応えるが故 彌次郎兵衞 死者独擅す自己護る故〉

      • すいわ より:

        弥次郎兵衛が効いていますね。自分では動けない、でも、外から少しでも力が掛かればゆらゆら揺れてなされるがまま。えい、と止まる事も出来ず。
        やじろべえ 片足立ちのおぼつかず
        ならくのながめ だれもふれるな

  2. らん より:

    いよいよ始まりました。私の怖い場面です。
    服を剥ぎ取られ裸の死骸。腐乱し土の人形みたいなものも。
    うわっ、うわっって思いながら読みました。

    下人が盗人になる勇気が出ないことと死骸が気にならないことは繋がりますね。
    生きてる人間が怖いのですね、評価されたり危害を加えられたりすることが嫌なんですね。人の目を気にして、それに比べて死骸のほうがいいと。
    なるほどと思いました。死骸は永久に喋らないし動かないし無害ですものね。

    • 山川 信一 より:

      らんさんの感性ならば、そうでしょうね。ここは想像力を閉ざして読みたいくらいです。
      それなのに、下人は平気でいられます。その理由は、こう考えざるを得ません。作者はそれを「人形」「唖」で伝えています。

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