父っちゃのだし

 父っちゃのだしというのは、父親の好きな生そばのだしのことで、父親はいつも、干した雑魚をだしにした生そばを食わないことには自分の村へ帰ってきたような気がしない、と言っている。
 帰るなら、もっと早くに知らせてくれればこんなに慌てずに済むものを、ゆうべ、いきなり速達で、盆には帰ると言ってくるのだから、面くらってしまう。明日はもう盆の入りで、殺生はいけないから、釣るものは今日のうちに釣っておかなければいけない。釣った魚は、祖母にはらわたを抜いてもらって、囲炉裏の火で串焼きにしてから、陰干しにする。今朝釣って、どうにか送り盆の晩には間に合うくらいだから、ゆうべは雨でも降って川が濁ったりしたらと、気が気ではなかった。


「「父っちゃのだし」は、生そばの出しのことだったんだ。釣った雑魚で出しを取るんだね。」
「「父っちゃのだし」という言い方に、父親への思いが籠められているわ。父親が特別な存在という感じがする。」
「「父親はいつも、干した雑魚をだしにした生そばを食わないことには自分の村へ帰ってきたような気がしない」とあるけれど、「いつも」「帰ってきた」「自分の村」とあるから、父親は、長い間遠くに仕事に行っていることがわかります。所謂出稼ぎかな?」
「すると、時代は高度経済成長期の頃?」
「いきなり帰るという速達が来たんだ。通信手段が手紙だったんだね。つまり、電話が無い。」
「時代と経済状態がわかるね。それに辺鄙だしね。」
「いきなりってあるよね。何でもっと早く知らせてくれないんだろう。」
「帰れるかどうかの予定が立たないんじゃない。それくらい仕事が忙しくて、ギリギリになるまで帰れるかどうかがわからなかったんだね。」
「盆の入りは、八月一四日。送り盆は八月十六日。この間は、生き物を殺しちゃいけないのね。だから、雑魚はその前に釣る必要がある。速達が届いたのは、十二日で、この日は十三日ということになるわ。」
「「父っちゃのだし」をこしらえるには、手間と時間が掛かるんだなあ。」
「お盆のしきたりをしっかり守っているのね。ここでは、古き日本の伝統が生きているわ。」
「雨で川が濁ることまで心配している。父親思いなんだね。」
「吉幾三に『津軽平野』という曲があるけど、ほらこれ。この歌は出稼ぎがテーマになってる。」
 津軽平野に 雪降る頃はヨー 親父(おどう)一人で 出稼ぎ仕度春にゃかならず 親父(おどう)は帰るみやげいっぱい ぶらさげてヨー 淋しくなるけど なれたや親父(おどう)
 十三みなとは 西風強くて夢もしばれる ふぶきの夜更け 降るな降るなよ 津軽の雪よ 春が今年も遅くなるよ ストーブ列車よ あいたや親父(おどう)
 山の雪解け 花咲く頃はよ かあちゃんやけによ そわそわするネー いつもじょんがら 大きな声で親父(おどう)唄って 汽車からおりる お岩木山よ見えたか親父(おどう)
「哀しい歌詞だね。今度聞いてみよう。」
 離れ離れになっているから、会いたくてたまらないんだ。だから、せめて父親にいい思いをさせたいと思う。高度経済成長期は、1960年代を中心とした頃だよね。日本がオリンピックをきっかけにして経済成長を遂げた頃。社会科では習ったけど、実際にどんなことがあったのかは知らなかったなあ。具体的に何があったかを知らせるが文学の役割なんだね。

コメント

  1. すいわ より:

    「だし」はお蕎麦のつゆの為のお出汁だったのですね。鰹、昆布などなど、お出汁の素って海の物を思い浮かべてしまって、川魚を獲って仕込むところから始めて出汁を引くとは思いもよりませんでした。海から遥か離れた山深い土地ということが想像出来ます。たかが蕎麦、でも家族が手間暇かけた都会では決して味わうことのできない、文字通り、その地のご馳走ですね。距離自体は変わらない、移動時間が今は格段に短縮されたけれど、心の距離は昔の方がずっと近かった。皮肉な物ですね。

    • 山川 信一 より:

      川魚でだしを取るというところがこの土地の特色を出していますね。海から遠く離れた地なのでしょう。
      そのだしは、鰹節や昆布には叶わないかもしれませんが、その土地の独自の味なのです。
      父親はその味でふるさとを感じているのでしょう。ふるさとは舌でも味わうもののようです。現代はそんなふるさとが無くなりつつあります。

  2. らん より:

    ああ、そういうことだったんですね。
    雑魚で出汁をとるのってすごく手間がかかりますね。
    釣ってさばいて、焼いて干してと。。。
    お父さんの好物を食べさせてあげたいという気持ちが伝わってきました。
    出稼ぎで家族離れ離れで寂しいですね。
    お父さんが帰ってくること、みんなすごく楽しみにしてますね。

    • 山川 信一 より:

      父親の喜ぶことをしてあげようと、準備していますね。
      どれだけ手間と時間を掛けたかが愛情を知るバロメーターですね。
      父親もだしを通して家族の愛情が感じられるので、「干した雑魚をだしにした生そばを食わないことには自分の村へ帰ってきたような気がしない」と言うのでしょう。
      そこには、あるべき家族愛があります。

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