「日本でお暮らしになっていて、楽しかったことがあったとすれば、それはどんなことでしたか。」
先生は重い病気にかかっているのでしょう、そして、これはお別れの儀式なのですねときこうとしたが、さすがにそれははばかられ、結局は、平凡な質問をしてしまった。
「それはもう、こうやっているときに決まっています。天使園で育った子供が世の中へ出て、一人前の働きをしているのを見るときがいっとう楽しい。何よりもうれしい。そうそう、あなたは上川君を知っていますね。上川一雄君ですよ。」
もちろん知っている。ある春の朝、天使園の正門の前に捨てられていた子だ。捨て子は春になるとぐんと増える。陽気がいいから、発見されるまで長くかかっても風邪を引くことはあるまいという、母親たちの最後の愛情が春を選ばせるのだ。捨て子はたいてい姓名がわからない。そこで、中学生、高校生が知恵を絞って姓名をつける。だから、忘れるわけはないのである。
「あの子は今、市営バスの運転手をしています。それも、天使園の前を通っている路線の運転手なのです。そこで、月に一度か二度、駅から上川君の運転するバスに乗り合わせることがあるのですが、そのときは楽しいですよ。まずわたしが乗りますと、こんな合図をするんです。」
ルロイ修道士は右の親指をぴんと立てた。
「わたしの癖をからかっているんですね。そうして、わたしに運転の腕前を見てもらいたいのでしょうか、バスをぶんぶん飛ばします。最後に、バスを天使園の正門前に止めます。停留所じゃないのに止めてしまうんです。上川君はいけない運転手です。けれども、そういうときがわたしにはいっとう楽しいのですね。」
「でも、ホントのことをストレートには聞けない。そこで平凡な質問に逃げたのね。」
「でも、その平凡な質問がかえってルロイ修道士の本性を明らかにすることになる。」
「「天使園で育った子供が世の中へ出て、一人前の働きをしているのを見るときがいっとう楽しい。何よりもうれしい。」とあるけれど、なぜなんだろう?」
「自分のしてきたことが報われるからじゃないの?ああ、育ててきてよかったって。」
「これこそ、教師の喜びですね。」
「ルロイ修道士は、根っからの教師なんだ!」
「捨て子の事情がリアル。捨て子は春になるとぐんと増えるってあるけど、どのくらいいたんだろう。すべて受け入れ切れたのかな?町の人に信頼されていたんだね。」
「名前となると、さすがにルロイ修道士もつけられない。日本語が母語じゃないから。」
「「中学生、高校生が知恵を絞って姓名をつける。」ってあるけれど、「上川一雄」の命名には「わたし」も関わったのね。名付け親なの。だから、忘れるわけはないのね。」
「でも、何で「親」と言うんですか?ホントの親じゃないのに。」
「人はね、二度誕生するの。生物的にと社会的にと。名付けは、社会的に誕生させる務め。だから、「名付け親」って言うのよ。」
「どんな名前が付くかで運命が変わってしまう。名前は運命を与えるものなんですね。」
「じゃあ、責任重大だね。だから、知恵を絞って姓名をつけることになる。」
「でもさ、「上川一雄」って、平凡じゃない?もっとかっこいい名前をつけても良かったんじゃない?」
「そうじゃないな。平凡だからいいのよ。名前は本人のものだけど、使うのは他人。変に目立つ名前より、みんなにすぅーと受け入れてもらえる方がいいこともあるのよ。施設出身だから尚更だわ。」
「そう思うと、上川一雄はよく考えれれたいい名前ですね。」
「バスの運転手になった上川一雄君の話では、ルロイ修道士の喜びが具体的に語られる。喜びがリアルに伝わってくる。」
「でも、なんで嬉しいんだろう。」
「彼がちゃんと仕事をしてくるからじゃないの。ルロイ修道士は、自分のしてきたことが間違いなかったって思えるからね。」
「その上で、いつまでも覚えていてくれたり、自分を特別視してくれたりすれば、なお嬉しい。」
「天使園は一種の学校よね。学校というところは、卒業していくところ。それ自体を要らなくするためのところなの。だから、教師も忘れられてしまう存在。その意味では寂しい存在なの。でも、中には上川一雄君のようにいつまでも忘れないでいてくれる子がいる。それが嬉しいのね。」
ルロイ修道士は、宗教家じゃなくてすっかり教育者になっているんだね。教師は寂しい仕事なんだ。こんなに素晴らしいルロイ修道士でも、忘れられていくんだ。あたしは、上川一雄君のようになれるかな?ルロイ修道士がこうして元園児たちを回っているのは、自分を忘れないでほしいからじゃないのかな?
コメント
宮城の工芸、こけしって「子消し」、死なせた子供の形見のひとがたですよね。子捨て川なんていう川もあったりして。東北の春、4月でも小雪が舞うし「母親達の最後の愛情」、子供のためにと言うよりは、仕方がなかったの、という自己弁護のように思えなくもない。何かを手放さねば生き抜けない厳しさが北国にはありますね。そんな捨てられた命の種を、拾い、慈しみ育んだルロイ修道士。子供達の、一人の人としての実りを見届ける喜びが伝わってきます。指言葉でサインを送り、先生に敬意を表す、「天使園」で育った事を誇りとしていればこそでしょう。忘れて欲しくない気持ちもあると思いますが、ただ純粋に今は大人になった子供達の幸せを「親」として確認したいのではないかと思いました。
ルロイ修道士が元園児を訪ね回っている理由の主たるものは、自分がひどいことをしなかったかどうかの確認のようです。
ただ、その他にも元園児たちの幸せの確認も自分を覚えていてほしいという思いも同時にあったに違いありません。
一般に気持ちは「ただ純粋」に存在するものではありません。様々な思いが混在しています。
上川くんが立派な社会人になってルロイ修道士がとても喜んでいる様子が目に見えるようでした。
ルロイ修道士はほんとにいい人です。
教師の喜びですね。でも、かえって妬む教師もいることを私は知っています。
いい教師の喜びなんですね。