それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと北叟笑んだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに騙された振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りの男を、三日目に殺してやるのも気味がいい。人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男を磔刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩にうんと見せつけてやりたいものさ。
「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」
「なに、何をおっしゃる。」
「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」
メロスは口惜しく、地団駄踏んだ。ものも言いたくなくなった。
竹馬の友、セリヌンティウスは、深夜、王城に召された。暴君ディオニスの面前で、佳き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言で首肯き、メロスをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。セリヌンティウスは、縄打たれた。メロスは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。
発表は、一周して真登香班長に戻った。
「ここは王の気持ちが書いてあるわ。心の中だから王は砕けた言葉遣いにしているわね。助詞「を」が省略されているところが二カ所あって、心の中の言葉って感じを出しているわ。「騙された振りして」と「悲しい顔して」の二カ所ね。思っていることも言っていることも、いかにも人が信じられない王にふさわしいわね。メロスの人間観と対照的に描かれているのね。メロスは、王の人間観で決めつけられて悔しがっている。表現の工夫は、他には「北叟笑んだ」があるわ。「憫笑」「嘲笑」「低く笑う」に続いて、ここでも新しいタイプの笑いを出している。太宰は、笑いにこだわっているみたい。笑いによって細やかな心理を表しているのね。これは、優れた表現法ね。ちなみに、「北叟笑む」は〈物事が思い通りに進んでしめしめと満足してこっそり笑うこと〉ね。王のずるさが出ているわ。「地団駄踏んだ」も面白い語よね。ここでは、〈悔しくて身もだえしながら激しく地を踏みならす〉の意ね。メロスは自分が侮辱されて凄く悔しかったんだと思う。それにしても、セリヌンティウスは、驚きよね。無言で承知したんだから。無言というところから、すべでわかっているからという気持ちが伝わってくる。メロスに対して信頼と友情があるのね。表現の工夫については、もう言ったことに加えて「初夏、満点の星」という表現があるわ。これは季節と天気だけじゃなくて、その時のメロスの気持ちを暗示しているみたい。一点の曇りもない心というのかな、自分がしたことに何の疑問もいだていないわ。自分は正義だって、そんな気持ちね。以上です。何か質問とかあるかな?」
「「ものも言いたくなかった。」という気持ちはよくわかるなあ。怒りを通り越して、見放すというか、嫌悪するというか、そんな気持ち。口を利くと、汚れると言うか、自分も同じレベルになるから嫌だと言うか、そんな気持ちを表している。同じ空気を吸いたくないって思うこともあるよね。」と若葉先輩。いつも実感がこもっているなあ。どんな経験があるんだろう。
「「初夏、満天の星」がその時のメロスの気持ちとか、気分を表しているのは、何となくわかります。この時のメロスは取り敢えず、自分の思い通りになって満足していますよね。」とあたしが言った。
「実は、私がそう考えたのは、後の部分との関連からなの。その後、大雨が降るわね。それと対応させて考えたのよ。」と真登香班長が補足した。いろんな仕掛があるんだね。
「セリヌンティウスってお人好しですよね。こんな重大なことを受け入れちゃうんだから。それとも、見栄っ張りなのかな?今さらジタバタしても仕方がないと思ったのかな?」と美鈴が感想を漏らした。
「そのあたりは、読者がなんとでも想像すればいいんじゃないかな。物語上はここでセリヌンティウスに目立ってもらう訳にはいかないしね。理由はともかく受け入れたことが大事ってことで。」と若葉先輩がまとめた。
コメント
「願いを聞いた」、願いを聞こう、ではないのですね。はなから信じていない。さぁゲームの始まりだ、始まる前からお前は詰んでいるがな、と。挑発に怒るメロス、普通なら友と自分の命を天秤に掛けられた事に怒りそうなものですが、あくまでも自分を侮辱した事に対して地団駄踏んでるのですね。「…ものも言いたくなくなっ」て黙っているメロスと「無言で首肯きメロスをひしと抱きしめ」るセリヌンティウスも好対照です。セリヌンティウスはただのお人好し、というわけでもないのでしょう。おおよそメロスの言動は今に始まった事では無いだろうし、でも、約束はこれまで一度たりとも破った事も無いのでしょう。赤のメロス、黒のディオニスに続いて白のセリヌンティウス。染まるのか、それとも晒すのか、、。
ご指摘の通り、セリヌンティウスはメロスを信じていたというより、メロスを知っていた、理解していたと言う方が適切ですね。ある人物を知る、理解するとは、その人物の行動が予測できることです。セリヌンティウスは、冷静で知的な人物のようです。
ただ、本当のところ、彼が何を考えていたのかは不明です。作者はわざと何も書きません。色で言えば、セリヌンティウスは白と言うよりは無色です。メロスの赤はその通りでしょう。しかし、ディオニスには既に「蒼白」が使われています。黒と言うのはどうでしょうか?
あまり何度もコメントするのは申し訳ないと思うのですが、書いてしまいます。いよいよメロスの出発!「初夏、満天の星である。」が、たまらなく好きです。こんな風に主人公の心情を伝えることもできるのだなあと思いました。私も一緒に空を見上げて、メロスがんばれ!と思います。
是非何度でもコメントしてください。授業中に発言しなかった分。そう、すいわさんを見習ってください。
天候と気持ちが一つになっています。見事な表現ですね。