《恋人の死》

あひしれりける人の身まかりにけれはよめる 紀つらゆき

ゆめとこそいふへかりけれよのなかにうつつあるものとおもひけるかな (834)

夢とこそ言ふべかりけれ世の中に現あるものと思ひけるかな

「親しく交際していた人が亡くなったので詠んだ 紀貫之
夢と言うべきであったなあ。しかし、世の中に現実があるものと思っていたことだなあ。」

「(夢と)こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし次の文に逆接で繋げる。「べかりけれ」の「べかり」は、助動詞「べし」の連用形で適当・当然の意を表す。「けれ」は、助動詞「けり」の已然形で詠嘆を表す。「(思ひ)けるかな」の「ける」は、助動詞「けり」の連体形で詠嘆を表す。「かな」は、終助詞で詠嘆を表す。
やはりこの世のことはすべて夢だとあなたに言うべきであったなあ。しかし、私は「この世に夢ではない現実がある。あの人との恋こそがそれだ。」と思っていたのだったなあ。
作者は、友則との死についての「論争」を踏まえ、「負け」を認めている。
友の死に続けて恋人の死を悼む歌を載せる。友則は死のつらさから逃れるには人生の大体が夢だと思えばいいと言った。しかし、貫之はそれに次のように反論する。恋人の死は格別のつらさがある。友とは違う。恋人との営みが夢だったとは思いたくない。だから、貫之は、世の中には夢ではない現実もあるのだと。ところが、実際に恋人に死なれてしまうと、それが徒になり苦しむことになる。やはり人生は夢だと思っていればよかったと悔やむことになる。友則の歌を踏まえ一度は反論したが、やはり友則の言うことが正しかったと認めている。詠嘆に「けり」を繰り返し、さらに「かな」を加えている。編集者は、前の歌を踏まえ、思いを深めた点を評価したのだろう。

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