題しらす 伊勢
ひとしれすたえなましかはわひつつもなきなそとたにいはましものを (810)
人知れず絶えなましかば侘びつつも無き名ぞとだに言はましものを
「題知らず 伊勢
人に知られず絶えてしまったなら、つらく思いながらも身に覚えがない噂だとだけでも言っただろうに。」
「(知れ)ず」は、助動詞「ず」の連用形で打消を表す。「(絶え)なましかば」の「な」は、助動詞「ぬ」の未然形で完了を表す。「ましか」は、助動詞「まし」の未然形で反実仮想を表す。「ば」は、接続助詞で仮定を表す。「(侘び)つつも」の「つつ」は、接続助詞で反復継続を表す。「も」は、係助詞で強調を表す。「(無き名)ぞとだに」の「ぞ」は、終助詞で断定を表す。「と」は、格助詞で引用を表す。「だに」は、副助詞で限定を表す。「(言は)ましものを」の「まし」は、助動詞「まし」の連体形で反実仮想を表す。「ものを」は、接続助詞で逆接を表す。
あの人との関係が切れてしまったという評判が立ってしまった。二人の関係が他人に知られることなく終わったのなら、つらがりながらも、せめて身に覚えがない噂だととぼけて言うことだけでもできただろうに。なんてことに・・・。
失恋の噂が立ち、とぼけることもできないことを嘆いている。人に知られることでまた別のつらさが加わることを言う。
失恋に纏わる思いは様々である。キレイゴトでは済まされない。当然、後悔もある。その中には外聞を気にする心理もある。評判が立って、無かったことにはできないのだ。人からどう思われているかが気になる。人にあれこれ聞かれることもある。「ああ、あの時こうしておけばよかった。いっそのこと恋などしなければよかった。」と悔やむことにもなる。その思いを反実仮想の助動詞の呼応「ましかば・・・まし」によって表している。しかも、「な(ぬ)」「ば」「つつも」「ぞとだに」「ものを」を使い、芸が細かい。『古今和歌集』では助詞・助動詞の使い方を重視しているので、編集者はこの内容にふさわしい助詞・助動詞の使い方を評価したのだろう。
コメント
人の口に戸は立てられないと言うけれど、噂は基本、悪意ですよね。口に何故「尊い」と書くのでしょう?
恋人と別れたらそれだけでも傷ついているのに追い討ちを掛かるように第三者が無責任に面白おかしく噂する。モテる女の別れ話となれば尚のこと。別れた事実があるから空惚ける事も出来ない。「侘びつつも無き名ぞとだに言はましものを」、噂に対する嘘、それすら言えない。ズキズキとした胸の痛みが伝わって来ます。
「噂」は、元々は人が集まってしゃべるの意でした。それが日本では人々が集まって話す話題の意になりました。その主なる話題が「うわさ」なのです。
人は噂が好きですね。それがモテる女のスキャンダルなら尚のこと。妬みも加わるからでしょう。この歌には、人間の性が表れていますね。
妬みとはなんと嫌な感情でしょう。人の成功を喜べず、失敗を好みます。しかも、その自覚が無く、罪悪感もありません。この感情はエリートほど強いのです。