題しらす むねゆきの朝臣
わすれくさかれもやするとつれもなきひとのこころにしもはおかなむ (801)
忘草枯れもやするとつれもなき人の心に霜は置かなむ
「題知らず 宗于の朝臣
忘れ草が枯れるかもしれないかと薄情な人の心に霜は置いてほしい。」
「(枯れ)もやする」の「も」は、係助詞で強調を表す。「や」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「もや」で「かもしれない」という意を表す。「する」は、サ変動詞「す」の連体形。「(霜)は」は、係助詞で取り立てを表す。「(置か)なむ」は、終助詞で願望を表す。
あの人が冷たくなった。きっとあの人の心に忘れ草が生えてしまったのだろう。だから、私のことを忘れてしまったのだ。私の心は霜が置いたよう冷え切っている。霜は、私の心ではなく、あの人の心に置いてほしい。忘れ草が枯れるかも知れないから。
題材が花から草へと、季節が春から秋へと変わる。(「霜」は、俳句では冬の季語であるけれど、『古今和歌集』では秋に出て来る。)霜が降りる季節になった。草花が枯れる寂しい季節。それと共に恋人の心が冷たくなる。恋人の心に忘れ草が生えたからだ。ならば、霜がその忘れ草を枯らしてしまえばいい。作者はそう願う。忘れ草には様々な使い方がある。「忘れ草種取らましを逢ふことのいとかく難きものと知りせば」(765)では、自分が忘れるためにあった。この歌はそれと対照的である。また、この歌は「もや」「は」「なむ」によって作者の心をよく捉えている。編集者は、こうした点を評価したのだろう。
コメント
あなたの心に霜が置いて欲しい←忘れ草が枯れるかもしれない←私を忘れてしまった←忘れ草が生えた←あなたが来ない
全部逆回り。もう取り返しがつかないことは本人が一番分かっているのでしょう。
相手の心が離れて自分の心は枯れて。何が悪かったのだろう?思い当たらない。私を忘れる忘れ草があなたの心に生えてしまったのだ、霜置いて枯らせて欲しい、、。負のスパイラルにはまる様子、昔も今も変わりませんね。
「逆回り」「負のスパイラル」つれなき人への思いは昔も今もそうなりますね。
この歌は「霜は」の「は」が利いています。他ならぬ植物や私の心を枯らした霜は、あなたの心に生えた忘れ草にこそ置いてほしいと言うのです。