返し なりひらの朝臣
ゆきかへりそらにのみしてふることはわかゐるやまのかせはやみなり (785)
行き帰りそらにのみして経ることは我がゐる山の風速みなり
「返し 業平朝臣
行き帰り空でばかり過ごしているのは、雲の私がいる山の風が激しいからなのだ。」
「にのみして」の「に」は、格助詞で場所を表す。「のみ」は、副助詞で限定を表す。「し」は、サ変動詞「す」の連用形。「て」は、接続助詞。「速みなり」の「速」は、形容詞「速し」の語幹。「み」は、接尾辞。「なり」は、助動詞「なり」の終止形で断定を表す。
私があなたの家に通うだけで落ち着つかない態度でばかり過ごしているのは、私が通う家の主の態度がきついからなのです。原因はあなたにあるのですよ。
相手が使った「雲」のたとえを利用して、相手の言い分に言い返している。歌を介してのやり取りである分、感情の直接的な対立は避けることができそうだ。相手を非難する場合でも、歌にすればお互いに少しは冷静になれるからだ。これも歌の効用である。業平はそれを知っていた。そこで、業平はまず態度で示し、その理由を歌で説明するために女に歌を促したのだろう。すると、女は業平の意図通りに歌を詠んだ。実は、業平が自分がこの歌を詠むために女にこの歌を作らせたのである。小町の場合より手が込んでいる。編集者は、その流れを示したのだろう。
コメント
喧嘩に限らず、考えを整理する時、書いて可視化すると抜けや間違いを発見しやすく、確かに自分でも意識せずにやっている行動だと思いました。歌ならば尚のこと、声に出して耳からも確かめる事になりますね。このアウトプットの作業を経て冷静に判断が出来るようになる。回りくどいようだけれど相手に考えさせ自ら気付かせる事で無用な争いの繰り返しを打ち止められる。忍耐が必要で業平、優しいと思います。これ、親目線ですね。子供を諭すのに世の親は参考にすれば良いと思います。
それにしても業平、子供じみた我儘に振り回されて相当うんざりしていたのでしょうね。
同感です。歌によるコミュニケーションは有効ですね。当時の平安貴族は現代人よりも人の心のあり方がわかっていたようです。現在、若者の中で短歌が流行っています。これを機に短歌によりコミュニケーションが復活するといいですね。
業平はこういうことを含めて恋愛を楽しんでいたのではないでしょうか?うんざりまではしていない気がします。恋の達人ですから。