《恋の後始末》

題しらす よみ人しらす

よとかはのよとむとひとはみるらめとなかれてふかきこころあるものを (721)

淀川の淀むと人は見るらめどなかれて深き心あるものを

「題知らず 詠み人知らず
淀川が淀むとあなたは見ているだろうが、泣かれて流れる深い心があるのになあ。」

「淀川の」は、「淀む」の枕詞。「(見る)らめど」の「らめ」は、現在推量の助動詞「らむ」の已然形。「ど」は接続助詞で逆接を表す。「なかれて」は、「泣かれて」と「流れて」の掛詞。「(ある)ものを」は、終助詞で詠嘆を表す。
淀川が淀むように、私が通ってこなくなったと、今頃あなたは思っているでしょう。それを思うと、胸が苦しくてなりません。通えなくなったのは、止むに止まれる事情によるものであって、私の思いに反しているのです。私はあなたに逢えない悲しみに泣き濡れています。思いの流れは淀んでなどいません。今も流れています。あなたを思う深い心があるのです。それをわかっていただけないのはとても辛いことです。
作者は別れた相手の誤解を解こうとしている。別れても愛していることを伝えている。言わば、恋の後始末をしている。それは、自分のためであり相手のためでもある。
前の歌とは、川繋がりである。川を題材にしたこの種の歌のお手本を示す。実は、別れても恋は続くのである。先のことはわからない。恋はいつ復活するかわからない。だから、そのための可能性を残して置くことになる。この歌は、そんな配慮がよくなされている。編集者はそれを評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    泣くほどに深く思う気持ちはあると言いつつ「人」と距離を取っていて、「別れ」の事実は決定的なのですね。これが拠のない事情なのであれば「恋は続く」のでしょうけれど、さて。男の事情、他に通う女が出来たというのだとしたら、、女の恋は上書きと言われますが、他に好きな人が出来たら過去は振り返らない。男の恋はコレクション、元の恋人はいつまでも自分を愛していると思っている。この感覚のズレは今も昔も埋められなそうですね。

    • 山川 信一 より:

      「上書き」と「コレクション」男女の恋に対する感覚のズレ、まさにそれが伺えますね。男も女も少しも変わっていません。非婚、少子化は、現代人が出した答えなのでしょうか?

  2. まりりん より:

    川繋がりの前の歌とは対照的に、この歌は言い訳がましく聞こえます。なかれて深き心ある は本心かな…? でも、別れた後のフォローをしている事は、誠意を感じますが、、確かに、先のことは分かりませんよね。その事を踏まえて、別れた女性に 保険 を掛けているようにも思えてしまいます。

    • 山川 信一 より:

      「焼け木杭に火が付く」とも言いますからね。先のことはわかりません。男は「保険」を掛けておくのでしょう。女がどう受け止めるかは別にして。

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