《別れの受け入れ》

題しらす/この歌、ある人のいはく、なかとみのあつま人かうたなり
読人不知 よみ人しらす(一説、なかとみのあつま人))

たえすゆくあすかのかはのよとみなは心あるとや人のおもはむ (720)

絶えず行く明日香の川の澱みなば心あるとや人の思はむ

「題知らず 詠み人知らず(この歌、ある人が言うことには、中臣の東人の歌である。)
絶えることなく行く明日香の川が澱んでしまったら、異心が有ると人は思うだろうか。」

「(絶え)ず」は、打消の助動詞「ず」の連用形。「(澱み)なば」の「な」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形。「ば」は接続助詞で仮定を表す。「(あると)や」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(思は)む」は、推量の助動詞「む」の連体形。
私はこれまで絶えることなくあなたの住む明日香に通ってきました。それがもし、明日香の川が澱んで流れが絶えるように、通わなくなってしまったとしたら、別の女への思いがあるとあなたは思うでしょうか。実はそうではありません。通えない事情が生じて、お別れせざるを得ないのです。
作者は、長年通ってきた恋人に別れを告げる。その際、決して他に女ができたからではないと納得してもらおうとしている。
「澱みなば」「思はむ」と仮定形で語られているけれど、別れは決定的である。仮定形を使ったのは、相手の心を気遣うからである。恋は、別れをどう受け入れてもらうかという段階にある。相手は明日香に住む人なのだろう。作者は、自分の行動を明日香川の流れという具体物にたとえることで、これまでの自分の誠意を暗示する。そして、明日香川が澱むように有り得ない事情が生じたのだと訴える。一方、「心あるとや人の思はむ」と判断を相手に任せ、自分の思いを押し付けない。編集者は、こうした細やかな気配りを評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    本妻ではないけれど足繁く通っていた恋人なのでしょうか。国司にでも任ぜられて伴うことも出来ず離れ離れ、「心変わりして他所へ通っている」なんて彼女が思うはずもなく、自分自身も勿論、新しい女へ靡くはずもない。一緒に眺めた飛鳥川が澱みなく流れるのと同様に貴女への思いが滞るはずがないのだ。分かってはいるけれど別れざるを得ない。残される辛さ、残して行く辛さ。歌の細やかな配慮が思いの深さを伝えます。

    • 山川 信一 より:

      作者は、別れても、女には自分を忘れてほしくないのでしょう。事実がどうであるかは別にして、精一杯に気を遣っていますね。

  2. まりりん より:

    別れを申し出ているのに、言い訳がましくないですね。相手の気持ちを慮って細かな配慮がなされているので、女性も素直に受け入れることが出来るでしょう。
    川の流れは止まる事なく、しかも自らの意思で流れを変えることも出来ない。。この別れも、成り行き上で仕方の無いことだったのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      ものは言いようなのですね。それとも、行動も伴っていたのでしょうか。いずれにしても、別れには細やかな配慮が求められます。恋は、始めるより終えることが難しそうです。

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