《当意即妙》

返し なりひらの朝臣

おほぬさとなにこそたてれなかれてもつひによるせはありてふものを (707)

大幣と名にこそ立てれなかれても遂に寄る瀬はありてふものを

「返し 業平の朝臣
大幣と評判が立っているが、泣かれ流れても終いに寄る瀬はあるというものなのになあ。」

「(名に)こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし以下の文に逆接で繋げる。「(立て)れ」は、存続の助動詞「り」の已然形。「なかれても」は、「泣かれても」と「流れても」の掛詞。「ものを」は、終助詞で詠嘆を表す。
私は大幣だという評判なのですね。しかし、実際にはそんなこともないのです。だから、それを聞くと自然に泣いてしまいます。とは言え、大幣というものは川に流されても終いに寄りつく瀬があります。ですから、こんな私でも最後に行き着く所はあるのですよ。それがあなただといいのですが・・・。
男は自分が女にとって初めての男であることを願い自分が自分が男にとって最後の女であることを願うと言う。業平は、女のこの心理を心得ているのだろう、大幣にこと寄せてこう言う。最後に行き着くのはあなただと言うのである。
この歌は、相手が嘆く「大幣」の性質を逆手に取って、相手の喜ぶことに転じている。歌にはこうした当意即妙な反応も必要である。編集者は、その機転のよさを評価したのだろう。なお、このやり取りも物語性に富む。そこで『伊勢物語』四十七段の話が生まれたのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    噂に流れている程モテるわけではないのですよ、ですって。さすがですね。女がそれを信じるはずもありませんが。「なかれても」、数多の恋をして流した涙があったとしても、最後に寄る瀬があるものなのだよ、と。女は自分の所に来てくれると確信したでしょうか。
    これも一見、最後に行き着くのは貴女の所と言っているように見えて、暗に「泣き落としには引っかからないよ、本当に真心込めて私を受け入れてくれるのは、さて、誰かな」と言っているようにも思えて来ます。心理戦ですね。

    • 山川 信一 より:

      「『これも一見、最後に行き着くのは貴女の所と言っているように見えて』『本当に真心込めて私を受け入れてくれるのは、さて、誰かな』と言っている」、まさに同感です。恋は駆け引きですね。業平もやり取りを楽しんでいますね。このプロセスこそが恋なのです。

  2. まりりん より:

    なるほど、大幣の性質を上手く利用したのですね。頭の良いこと。。女性の気持ちを良く分かっていて、さすがプレーボーイです。引く手数多に女性が近づいてくるのも、自然の成り行きかも知れません。

    • 山川 信一 より:

      業平は見た目も悪くはなかったでしょう。しかし、決して見てくれだけの薄っぺらな男ではありません。女は決して見てくれだけの薄っぺらな男に恋などしません。中身をちゃんと見ています。だからモテるのです。

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