題しらす よみ人しらす
おほかたはわかなもみなとこきいてなむよをうみへたにみるめすくなし (669)
おほかたは我が名も湊漕ぎ出でなむ世をうみべたにみるめ少なし
「題知らず 詠み人知らず
ひととおり私の名前も噂に出してしまおう。あなたに逢う機会が少ないので。」
「(出で)なむ」の「な」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形。「む」は、意志の助動詞「む」の終止形。「うみ」は、「海」と「憂み」の掛詞。「みるめ」は、「海松布」と「見る目」の掛詞。
もうこうなったら、ひととおり私の名前も、海人が舟を湊から漕ぎ出すように、世間に噂として出してしまおうと思います。海人は海辺に海松布が無いと海へと舟を漕ぎ出します。私も、今のように忍ぶ二人の間柄ではあまりに逢う機会が少ないので、世間に噂を流す以外にもう方法がありません。恋の掟を破ることになりますが、私のあなたへの思いはそれほど切羽詰まっているのです。
逢う機会が少なく耐えられないので、もう忍ぶことを止めようと言うのである。そのために、自ら噂を流すことで、世間に二人の関係を認めさせてしまおうとする。
この歌では、海人が海松布を求めて海に漕ぎ出す行為が隠喩として使われている。海人のその行為は止むに止まれぬ判断による。自分の噂を流すという行為もそれと同じで決していい加減な理由による判断ではないのだと言いたいのだ。編集者はこの隠喩の効果を評価したのだろう。
コメント
隠し通すことに疲れて、自分に正直に生きたい。恋を秘め事にしておく「正しい人」でいる事に疲れたように感じました。
いわゆる典型的な 優等生 って、居ますね? 無遅刻無欠席、成績優秀で品行方正。生徒会長を務め先生方からの信頼も厚い。おウチでも良い子。そんな人が、急にスカートの丈が短くなって学校帰りに寄り道したり色々変わって、驚く事がありますね。彼女曰く、良い子でいる事に疲れたのだとか。何か通じるものを感じました。彼女の凄いところは、それでも成績は下がらなかった事でした。
あらあら、何だか鑑賞から逸れてしまいました…
人はある時開き直ることもありますね。しかし、それでも肝心のことは手放しません。この歌の作者も、まりりんさんの言う優等生さんも。通じるところがありますね。大丈夫、鑑賞から離れてませんよ。
こんなにもお会い出来ないのだったら、いっそもう最後の手段、隠し立てせず私たちの関係を明かしてしまおう、、。世間に知らしめることで外堀を崩す訳ですね。この方法が一般的であったと言う意味で「我が名“も”」なのか?“も”が気になります。私の名と「御名」と一緒に明かしてなのか?女が高貴な立場にあってなかなか会えない。突破出来ない壁。『伊勢物語』第四段を思い起こしてしまいます。海の情景を描くことで和らげてはいるものの、止むに止まれぬ事情である事には変わらず詠み手の差し迫った心情が伝わります。『伊勢物語』第三段が立場が逆転して貧しい女に海の物を贈っているのも偶然なのだろうかと、“も”から妄想が広がってしまいました。
「も」へのこだわりがいいですね。「神は細部に宿りたもう」です。私は、海人の行為との並列の「も」と解しましたが、「ついに我が名までも」と行き着く極限を示しているとも取れます。もちろん、すいわさんのような捉え方があってもいいと思います。無駄な表現などありません。細部にこそ、真実が現れます。連想が『伊勢物語』に及んでいくのも素晴らしい鑑賞です。「妄想」を大いにしてください。
なお、まりりんさんへのコメントにすいわさんのことをお断りもせず、持ち出してしまいました。申し訳ございません。
「すいわさんは国語教師の嫌われ者だったそうです。それで、国語の劣等生でした」うふふ、真実ですから何ら問題ありません!これでも「成績優秀(あ、でも良くてせいぜい学年総合で五番くらい)で品行方正。曲がったことが大嫌い。学級委員長を務め先生方からの信頼も厚い。おウチでも良い子」だったのですが、「曲がったことが大嫌い」は忖度なし、先生方にも容赦ないところがまりりんさんのお友達とは違いました。“も”が気になるとか、中学当時の国語の先生にとってはどうでも良い事を聞いて煙たがられておりました。
この「国語教室」ではほんの些細な「何故?」に一緒に向き合い丁寧に回答頂けて、「国語」は好きなのに「国語の授業」が嫌いだった私、すっかり「国語の授業」に夢中です。先生、有難うございます。過去の私が古典を学ぶ私を見たら、さぞ驚く事と思います。
こちらこそ、ありがとうございます。すいわさんは「曲がったことが大嫌い」な優等生だったのですね。(イメージ通りです。)だから、「要約国語」の胡散臭さを嗅ぎ分けて、その劣等生だったのです。