《さりげなさ》

題しらす とものり

よひよひにぬきてわかぬるかりころもかけておもはぬときのまもなし (593)

宵宵に脱ぎて我が寝る狩衣掛けて思はぬ時の間も無し

「題知らず 友則
夜ごとに脱いで私が寝る狩衣を掛けるように心に掛けて思わない時の間も無い。」

「宵宵に脱ぎて我が寝る狩衣」は、「掛けて」を導く序詞。「掛けて」には、狩衣を掛けると心に掛けるの意味が掛かっている。「(思は)ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。
毎晩私が脱いでは掛けて寝る狩衣。ほら、あなたもご存じのあの狩衣です。それを掛けるように、あなたのことを心に掛けて思わない時間もありません。私の心はそれほどあなたのことでいっぱいです。
狩衣という貴族の男性の普段着である狩衣を題材にしている。狩衣は相手の女性にも馴染みの物だからだろう。身近な動作をたとえに使ってさりげなく心を伝えている。日常性を効果的に使っている。
ここからは、友則の歌が続く。前の歌との題材の繋がりは無い。読者を飽きさせないように歌の趣を転換したのだろう。歌には、当然作者の歌の技量が表れる。友則の歌には、それと共に人柄もよく出ている。さすがに表現に気負いや無理がない。編集者は、それを評価したのだろう。編集者の友則へのリスペクトが感じられる。

コメント

  1. まりりん より:

    「掛けて」に狩衣を掛けると心に掛けるを掛けたのですね。もしかしたら、暗に狩衣を恋人に喩えているでしょうか? そうすれば昼も夜も恋人を近くに感じていられます。でも、そんなに密着されていては贈られた方が負担に感じるでしょうね。
    友則は、有名な「久方の光のどけき〜」などの作者ですよね。そのような素敵な感性を持った方が、こんな不粋なことは言わないかな〜?

    • 山川 信一 より:

      「狩衣」を恋人に喩える?う~ん、私には意味が取りかねます。夜ごとに脱ぐ着物ですよね?

  2. すいわ より:

    当たり前の日常的な動作、意識する事もなく誰もが日々行っている何気ない仕草を詠むことで、それぞれの、そこにはいないその人を思い描く事が出来、共感を得られる。しかもこの歌を受け取った人にとっては自分が特別な存在として扱われていると実感できるのだから凄い。なのに歌自体には押し付けがましさのかけらもなく、「君のこと片時も思わない時はない(のに、ここに今、君はいないのだなぁ)」というしみじみとした寂しさまで伝わって読み手の心を掴む。上手いですね。

    • 山川 信一 より:

      この歌を受け取った人は、恐らく作者の狩衣もそれを脱いで掛けているのも知っているのでしょう。敢えてそれを持ち出すのですから、相手に何を思わせたいのかがわかります。周到な仕掛が懲らされていますね。

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